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2012年10月07日

お願い









貴所属長以下全ての職員の方々へ、御伝達をお願いします。
もし「教育上、体罰が必要な時もある」「虐められる側にも原因がある」とお考えでしたら感情自己責任論 というwebサイトを御一読ください。
虐めや虐待・テロにも通じる「言って聞かなければ叩け」という体罰肯定論が抱える矛盾や社会に及ぼす影響等が解説してあります。
人権侵害に苦しむ人を一人でも減らすため、一人でも多くの方に御伝達くだされば幸甚です。
末筆ながら、今後益々の御健勝をお祈り申し上げます。返信不要匿名希望転載可
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2008年12月16日

「前回と同じで」という難題

 生物調査員を悩ます言葉に、「前回と同じで」というのがあります。
 即ち、「前回調査と同様に今回も調査して下さい」という依頼です。
 別エントリにも書きましたが、多くの場合、調査の実働部隊は業務受注したコンサル等ではなく、下請けの調査会社やフリーの個人調査員であるため、「前回」というのはどこかの知らない誰かがやった調査を指すことが少なくありません。元請けにしても、年度毎の入札であれば毎年違う会社が受注したところで不思議ない話ですので、調査を取り仕切る立場の担当者ですら「前回」というものの中身がよくわからなかったりします。発注側の担当者もまた、人事異動によって「前回」のことなど引き継ぎ書の中の一行でしか知らない人になっていたりします。
 ということで、たよりは前回の報告書ということになるわけですが、当然ながら報告書には細かいことがなにからなにまで書いてあるというわけではありません。もちろん、前年に受注した会社からより詳しい情報を得られることも無いわけではないですが、これは入札で競うライバル会社にお金にならないよけいな仕事を頼むという意味になるわけですから、発注者を通して依頼するとしても、そう期待できるものでもないでしょう。
 こんな事情も含め、「前回と同じで」という言葉は、時にかなりの難題となる場合があるようです。

 例えば、植物相調査の場合。
 これは指定されたエリアの中を踏査して確認できた種をかたっぱしからあげる作業になりますが、まずはどこをどう歩くのか決めるところから始まります。通常、地図を見て、実際の山を見て、できるだけ多くの種をあげるべく踏査ルートを選びます。ある程度以上の距離を踏査しておかなければちゃんと調査をやったとは見なされないし、距離を稼いだところで、似たような環境のところばかり歩いていては出現する種も限られます。ですので、地図にのっている道を基本線としてあたりつけ、あとはケモノ道を含め、比較的歩きやすいところを選んで調査をします。で、環境に変化が見られる場所等、その人なりの感覚で気になったところで、薮なり崖地なり湿地などに突入するということになります。道を歩くというのは決して楽に歩きやすいからというだけでなく、道沿いという環境が様々な種が出やすい場所ということでもあります(道が作られなかったらそれは生えることが出来なかった種なのかという問いは面倒なのでわきにどけておきます)。
 で、一度道を離れてしまえばあとはそこに生える種、遠くにみえる花に呼ばれるままに奥へ奥へといってみたり、ショートカットの形で林を抜けて別の道に出てきたり、崖や湿地に遮られて目指す方向とまるで別の方への迂回を強いられたりします。道からあまり離れないようにしようとしたところで、道自体がなくなっているなんてことも普通にあります。にっちもさっちもいかなくなり、やぶこぎをしたり、斜面を滑りおりたり、あるいは落ちたりします。危険な獣の気配を感じ、そっと逃げたりもします。イバラの中を血だらけになって抜け、底なし沼でもがきもがき、やまんばの家の庭をこっそりつっきったりします。ときには穴を掘ってうんこもします。上げられそうな種を上げきってしまう頃と疲れてくる頃は不思議と一致し、歩きやすい道に出るのも不思議とその頃だったりします。普通、遭難は絶対しません。次から仕事がこなくなるからです。

 そんなこんなで、全員が全員ではないと思いますが、調査員の歩く道が傍目からは極めて適当でいきあたりばったりなルート選択となったところでなんら不思議はありません。目的はたくさんの種をあげることと、怪我をせず、常識的な時間内にきちんと帰ってくることです。で、歩きながら、または一区切りついたところで、もしくは帰ったあとで、踏査したルートを「こんな感じだったかな」と地図に落とすわけです。一度地図に書いてしまえば、なぜその道を選んだのかなんて理由がどんなであっても、その道のプロですので様々な環境条件の場所をカバーした立派な踏査ルート図にみえるものが出来上がります。GPSがあればそのデータも使いますが、衛星の見つかりづらい森の中のこと、軌跡は非人間的な動きを示します。

 てな調査をした結果が、等高線何本にもまたがるぶっとい線の引かれた踏査ルート図、及び出現種リストとして報告書のページを埋めて翌年の調査員の手にわたり、そこに「前回と同じルートで」という言葉が添えられてくるわけです。
 難題ですね。

 長くなってしまいましたが、きちんとした測量のされていない調査ラインを示した大雑把な地図を元に「前回と同じで」といわれた場合、いったいそれがどこなのか現場へいってもさっぱりわからないなんてこともあります。
 もとの地図が大雑把なのだから適当にラインを決めちまっても大丈夫かといえば、そうはいきません。たとえば、前回データに柳の木が一本記録されていたなら、そのデータと同じ位置に柳の木が一本だけはいる調査ラインをなんとかして探さなければ、その柳が突如消滅したか、歩いて移動したか、分裂して増えたか、なんていうことになってしまうからです。普通、写真データも求められるので、安易に調査ラインを選んで、あとで「場所が違うよ」と言われたら面倒なことになります。

 動物調査で「前回と同じで」と言われたときは、前回トラップをしかけた場所と同じところにトラップをかけろという意味だったりすることがあります。トラップをかける場所なんて、そのときそのときの状況を見ながら調査技術者としての力量において最も効果が高いと思われる場所を選ぶわけですから、「前回と同じで」という言葉は「成果を上げるのをあきらめろ」と同義だったりもします。聞いた話ですが、前回調査でモグラの坑道を狙ってしかけたトラップを、今年は坑道の影も形も無いにもかかわらず全く同じ場所に仕掛けろと指示された、などという極端な、というかアホな例もあります。
 猛禽調査等において、調査対象の行動範囲がしぼりこまれてきた段階になっても、鳥が全然飛ばない定点を固持して人をはりつけ続けるというのも似た例でしょう。ほんのちょっと定点配置を変えるだけでグンと成果が上がることがわかりきっていても、なんら改善のためのアクションをおこさずに有能な調査員をまる一日立たせておいて、「ボウズ」という結果を出させるわけです。

 なにかを変えるということはそれなりのリスクを伴うし手続き的な面倒があったりもするものですが、変えてはいけないもの、変えた方がいいもの、変えようが変えまいがどうでもいいもの、などといった判断はそれ以前の問題ですし、発注者・受注者という関係において、変えられるもの/変えられないもの、という契約上の問題が壁のように立ちはだかっている気がしても、なんらかのアクションをおこして両者の共通理解が深まれば、あっけなく修正できる場合もあったりするもんです。
 実際のところ、「前回と同じで」という元請けの担当者からの指示は、比較の容易な継続性のある調査を行うため、というよりは、無難に恙無く業務をこなすための保険的意味合いが強く、生物/生態について無知+半端に真面目な担当者ほど前回調査への執着があるようです。自分の頭で考える必要はなく、思うように成果が出なかったときの言い訳も簡単ですから、まあ、最強といえば最強ですね。

 調査員が大学教員等である場合事情は違うでしょうが、そうでない場合について、たとえば、調査会社や調査員から元請けコンサルに向かって、あるいは元受けコンサルから発注元の役所等にむかって「担当者は『前回と同じで』」と言えるような、かつ、言いたくなるような状態になれば、少しは何かがかわるでしょうか。
 いや、これはもっともっと難題ですかね。

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2008年11月27日

「モニタリングサイト1000」について 4

 続きです      【1】 【2】 【3】 【4】  【Top】 
 ところで、ちょっとすっとぼけたそもそも論になりますが、私には「自然環境の質的・量的な劣化」というのが具体的になにを意味するのかいまひとつよくわかりません。
 おそらくは、道路建設や治水・上下水道周りのインフラ整備、エネルギー供給、宅地やレジャー施設等の開発、廃棄物処理などといった、人間の生活活動や建設業関係、そして、農業、林業、水産業の影響により、今、もしくは今よりちょっと昔の状況から他の状況に遷り変わってしまうことであり、特には、その遷り変わりの中に多様性の低下と今現在希少な種(絶滅危惧種等)の個体数の減少や絶滅がみられる場合や、なんらかの目的で国外から持ち込んだ種もしくはいつのまにか国外から侵入した種の制御困難な増殖がみられた場合を指すのだと思います。
 多様性は維持されていても、その内容としてあまり好かれていない種の量比が増大してしまったら、それもきっと劣化と呼ばれるでしょう。
 つまり、「劣化」という言葉を使っているからには、このモニタリングの背景には、なんらかの形で「現状、または現状に近い望ましく好ましい自然環境像」、もくしく「本来の日本の理想的な自然環境というべきもの」が比較対象として想定されていることが伺えるわけです。
 今の生活水準を維持するツケが今の自然環境の破壊という形で出ているというシンプルな構図だけならば話はわかりやすいですが、そこに、「ちょっと昔の豊な自然のあった時代」のツケが今や将来に現れているという要素が入り込んでいるとなると、「現状」または「ちょっと昔の豊な自然のあった時代」の状況を(復元し)維持し続けていこうとすることは限りなく困難に思えます。
 また、「ちょっと昔の豊な自然のあった時代」とひとくくりにしたとき、その影に隠れて表に出て来づらかった闇の部分の見落としは、重大な問題となって蘇る可能性があります。農薬を使っていなかった時代に死に至る未知の風土病とされていたものが、そういう時代だったからこそ蔓延していた寄生虫によるものだった、などというのも、関連する例のひとつとしていいかもしれません。
 社会の現在に至る発展を環境とのからみで大雑把にまとめるならば「自然の克服の歴史」というものであって、おそらく、「劣化」に対応して位置づけられるようなちょうどよい理想的な時期などあるはずがないと思います。
 つまり何をいいたいかといえば、いったいだれがどんな理由でどうなることを望んでいるのか、そのとき自然環境の価値はどう位置づけられるのかという、かかわる人々それぞれの利益をもからめた部分がもっとオープンにならないかぎり、「自然環境の質的・量的な劣化」も「劣悪な自然環境の克服」もたいして意味をもった主張の材料にはなり得ないと思うわけです。
 こういったあいまいさを逆手にとるならば、自然環境等になにかしらの変化があったとき(ほっといても毎年毎年若干の違いは出てくるはずです)、声が大きいものが勝ちという理屈にのっとって任意に「劣化」と呼んで騒ぎ立てることも出来てしまうわけで、結果、どこかの誰かに都合の良い方向でお金を動かすなんて利益誘導も不可能ではない話に見えます。

 そもそも自然保護とインフラ整備はバッティングするに決まっていて、その解決策や妥協案はどうしたって非対称な交換条件を前提にするしかありません。何を犠牲にして何を守るかという部分を出来るだけクリアにして、あとはいかにきちんと犠牲の部分をフォローをするかという話です。自然との共生なんてのも、その具体的な内実は犠牲の明確な認識とそれに対するフォローをうまくめぐらせることなんだろうと思います。
 とはいえ、守りたい部分というのが、ごくごく個人的な損得や保護活動にかこつけた自分探しのお祭り騒ぎだったりとか、今日明日の仕事の受注、次の選挙、上司の顔色、メンツ、ファッションとしてのエコなどなどという、犠牲部分と関係なくても存在できる問題だったりすると、やっぱ、解決も妥協も難しくなってしまうわけですが。

 話がちょっと広がりすぎ、勝手な妄想モードに入りかけたのでこのへんにしておきますが、本音を言えば、「劣化」という言葉が使われるのもわからないわけではないす。
 国として将来の自然環境に関する具体的なビジョンがまともに語られることがほとんど無い中、縦割り行政の片隅からの声としての「劣化」という表現は、ある種絶妙なチョイスなのかもしれません。

 ってことで、100年後に人類がまだ地球に生き残っていたらの話ですが、このモニタリングの結果を最大限にいかしてその先1000年続くビジョンを構築してもらいたいものだと思います。で、そのときの人間と他の生き物との関係に関しては、偽善や欺瞞を排除した位置に、シンプルで直接的でわかりやすいものが再度確かな根っことして座っていて欲しいなと思います。
 つまり、「ここにいるこいつは、食えるのか? 食えないのか?」

      【1】 【2】 【3】 【4】  【Top】 

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「モニタリングサイト1000」について 3

 続きです。      【1】 【2】 【3】 【4】  【Top】 
 また、このモニタリング1000には一般のボランティアの参加が組み込まれているわけですから、「自然に対するまなざしにささやかな啓蒙効果をあげるための長い長いお祭りイベント」といった側面がかならずあるはずです。
 多くの一般の人たちにとって、「雑草だらけの草むらや薮」が「百種、二百種もの植物が混生する生物相豊かな場所」に見えだし、ただの「小鳥たちの声」から何種類もの鳥の意味のあるさえずりを聞き分け、その一羽一羽の行動を追えるようになり、「生まれて初めてめくった葉っぱの裏にいた生まれて初めて見た虫がどこにでも普通にいるたくましいやつだった」ことを知り、「自然豊かなきれいな景色」の中に、臭くて汚くて痛くて鬱陶しくて恐ろしくて愛らしくておいしいものが潜んでいることを知る、などといった経験は、個人の気づきの物語としてとても大切なことだと思います。一次産業に従事する人たちは、また別の形の気付きの物語と共に生きてきているはずで、そして結局はこういった個人的な物語の集合体がこの国の自然に対する視線を形作っていくものと思います。
 ボランティアに参加する人限定のイベントなので、自然デバイドを生んでしまいかねませんが、かかわったひとたち同士のネットワーク形成も含め、ひょっとしたらこんなのが得られるデータ以上の価値になるかもしれないな、なんても思います。
 あ、別に生き物の種類がわかるようになることがいいと言おうとしているわけではありません。自然との距離感であったりかかわり方の話です。念のため。

 あとは、欲を言えば、これを機会に環境省の他の調査研究や国交省や農水省関連の各種調査、地方自治体発注の調査、各種環境アセスメント調査との連携といいますか、データ共有といいますか、そんなのがうまく進むといいだろうなと思います。「期待される成果」の中に、「得られた結果を自然環境アセスメントに役立てる」と明記もされていますので期待したいところです。闇に包まれたところがなにかと多い部分のようなので難しいとは思いますが。

もうちょっと続けます。
      【1】 【2】 【3】 【4】  【Top】 

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「モニタリングサイト1000」について 2

 続きです。      【1】 【2】 【3】 【4】  【Top】 
 まあ、モニタリングサイト1000は研究でなく調査ですし、調査員の力量という問題もあるにしても、一度決めたらある程度の妥協は覚悟でそれでいくしかないということになったのでしょう。 調査項目を欲張らず、調査方法をマニュアル化して統一することは、100年間続けさせるという目的のためにはベストとはいわなくともベターな方法だと思います。
 が、1000もの定点を設置して行うとなると、捨てるには惜しい規格外のデータ、ひょっとしたらその土地の環境を評価する上で最も重要となるかもしれないデータがたくさんあがってきそうです。
 データベースの設計にもからむ話だと思いますので、このへんはちと気になりますし、実はこういったところにこそ一番の収穫があるのかもしれないぞ、とも思います。
 もうひとつ、これだけの場所で調査を行えば、これまで分布しないとされていた場所で見つかる種も多く出てくると思います。が、それをデータの形にすることは、同定能力の問題以上に、報告する勇気やその道の権威の先生との関係という問題がからまりそうです。ま、この話は脇にどけておいた方がいいですか。

 それはそうと、もし、このモニタリング1000の調査を全てそれなりの力量のある民間の調査会社に委託して行った場合、その費用はどの程度になるのでしょうね。ボランティアに対しての説明会や講習会、そしてフォローにはそれなりの費用がかかると思いますが、それら込み込みでどの程度の違いが出てくるのか知りたいと思います。安くあげることを一番の目的としているわけでもないでしょうから興味本位の話ですが。

 ともあれ、100年間現在の出発点の状況を死守すべきか、適当なところで今後の方向性を吟味すべきかなんて議論はいずれ行わなければいけなくなるでしょう。が、少なくともこのモニタリングサイト1000により、現時点で日本の環境についての長期モニタリングの体制がひとつ整ったということではあるはずです。
 環境問題に関しちゃもっと他に優先的にやるべきことがあるだろう、という意見も当然あるでしょうが、それがきちんと議論されるためにも、こういった具体的な動きは注目すべきことと思います。

 ということで、動き始めた以上、あとは、いかにそのデータを生かすかということですね。
 データベースが整うわけですから、特定の生物が増えたとか減ったとかでマスコミといっしょに一喜一憂する楽しみにはことかかなくなるわけですが、肝腎なのは、その理由を探ることであり、さてそれで、から続く部分です。
 種や分類群毎のマニアや専門家はたくさんいても、環境を読める人材なんてそう多くいるわけではありませんし、見いだされた問題に対して効果的な対策を打ち出そうという話になった場合、国際的な問題や国内省庁の壁、多方面の利権なんてものもからんだ政治の話にもなってきますから難しそうです。
 そこまでの話にならないとしても、データがあるが故に、安易な増殖策や移植放流、駆除活動の根拠に使われて、かえってとりかえしのつかないひどい結果を招くことになってもバカらしいですから、データを読み、環境を読み、因果関係を分析してより確からしい説明を常に追い求め、様々なリスクをきちんと評価するという作業は必要不可欠でしょう。複雑極まりない生態系を相手にした話ですので、意見・見解がわかれるなんてことも当然あると思いますが、少なくとも議論の透明性を確保して欲しいもんです。また、誰しもが発言には責任をもつべきと思いますが、結果に対して「責任」なんて言葉を安直に持ち出して、責任のなすりつけ合いという消耗戦に持ち込んでもいいことはないと思います。
 んで、問題が見いだされたときの対策を事業化するならば、相手が不確実性の高い自然であるという事情を前提としたフレキシブルなフォロー体制が必要でしょう。もし、「そのままほっとけ」というのが一番よさそうならば、対策事業費としてついた予算を返すことも必要かもしれません。行政担当者としてそんなのは到底考えられないことかもしれませんが、今の日本は様々な意味で考えられないような状況にあるわけですから、この手の考えられないことを少しばかりしても国民は目くじらをたてないと思います。むしろ無駄金節約ということで歓迎でしょう。

まだ続いてしまいます。

      【1】 【2】 【3】 【4】  【Top】 

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「モニタリングサイト1000」について 1

 環境省の生物多様性センターが実施している事業の「重要生態系監視地域モニタリング推進事業(モニタリングサイト1000)」というものが動き出しています。

モニタリングサイト1000
http://www.biodic.go.jp/moni1000/index.html

 これは、全国各地に約1000か所の定点をおいて、基礎的な環境情報を長期継続的にモニタリングしていこうというもので、「日本の自然環境の質的・量的な劣化を早期に把握」することを目的とし、動植物の生育生息状況などを100年にわたって同じ方法で調べ続けるという遠大なものです。
 実際の中身としては、生態系タイプごとに調査地が設定され、環境省生物多様性センターの「自然環境の調査や野生生物の保全に関わっている各種団体を通じて、大学、研究機関、専門家、地域のNPO、ボランティアなどの方々に呼びかけ」により構築される「モニタリングサイト1000を推進するためのネットワーク」を実動部隊とした環境調査の実行であり、アウトプット方面では「専用のサーバとデータベースシステムによるデータ収集と情報提供の推進」だそうです。
 生態系タイプは、森林、里地里山、陸水域(湖沼、湿原)、沿岸域(砂浜、干潟、藻場、サンゴ礁等)、小島嶼に分けられています。

 関連ページをいくつか探してみました。
 里地里山タイプの調査を担当する日本自然保護協会(NACS-J)のページ。
http://www.nacsj.or.jp/moni1000satochi/index.html
(ここには、具体的な手法や手続きが詳しく紹介されています)
 こちらは森林分野の調査についてのサイト。
http://fox243.hucc.hokudai.ac.jp/moni1000/
 ガンカモ類調査、シギ・チドリ類調査の事務局であるNPO法人バードリサーチにはこんなページが儲けられていました。
http://www.bird-research.jp/1_katsudo/moni1000/index.html
 また、里地里山調査サイトの中には一般サイトとして一般から調査値を募るものがありますが、それに選定されたものの例として、例えば
NPO法人天覧山・多峯主山の自然を守る会のこんなページがありました。
http://www.tenranzan.com/monita1000.htm

 大いに期待出来るところと、様々な面でのあやうさなんてものを感じたりします。
 里地里山の調査では多くの一般のひとたちがボランティアで参加することにもなるそうなので、どの程度同質のデータを確実にとり続けられるだろうかといった心配の声を聞きます。専門家と一般の人の線引きがどこにあるかはおいといても、当然危惧されることのひとつだと思います。
 同時に、同質のデータをとろうとする目的で調査方法を画一化することが、それぞれの調査地の特性の違いから、かえってデータの質をバラバラにしかねないのでは、という危険性もありそうです。
 と書き出すと、ひねくれたちゃちゃを入れようとしているように見られてしまうと思いますが、100年以上にわたってモニタリングを続けようという、文字通り世紀のプロジェクトですので、これを機にちょぼりちょぼりと書いてみたいと思います。

 このモニタリングサイト1000の一番の特徴は、生態系の基礎的な環境情報の収集・蓄積を、これまでに例がない程の多くの定点で長い期間にわたって継続しようとしていることにあります。
 この大きな目的のためには、同じ方法で実施しつづけるということに意味が出てきますので、まずはこの「方法」というものについてちょっくら。

 方法というのは、いつだって調査や研究のキモとなる部分です。
 が、これが結構やっかいな問題だったりします。同一の対象を知ろうとする行為であっても、そのための方法が違えば見えてくるものが異なるなんてことはごく普通にあることだからです。方法そのものが対象に干渉して、得られる結果を変えてしまうこともあります。
 ○○についてはこう調査すればいいはず、という調査の方法には、対象を知ろうとする際の思い込みの域に閉じ込められてしまっている可能性がいつだってつきまといます。セオリーと呼んでしまうことによる思考停止だったり、時には、○○先生により○○はこの方法で調査するとされているから、という権威主義に似たものに変質してしまっていることもあるかもしれません。
 フィールド調査を行う研究者であれば、常にその点はそれぞれのフィールド固有の事情を前提に自問自答しながら研究を進めるでしょうし、思い込みを排除しつづけようとする行為そのものこそが、研究といってもいいかと思います。調査を進めるにしたがって、この方法では肝腎なところがまるでつかめていないことがわかってきた、なんて例もきっと出てくるでしょうし、調査対象によっては定点を固定することの弊害が出てくるかもしれません(里地調査の一般サイトは5年を1サイクルとして調査地の見直しをするそうですが)。
 まあ、このあたりは言い出せば切りがないことですが、100年間同じ方法で、という話をきくと、ついついこんなところが気になってきてしまいます。

 もうひとつ、このモニタリング調査は、データベース化できるタイプのデータをとるということで、決められた地点で確認できた野生生物の種数と個体数という数字のみのシンプルなデータが主要なものになるのでしょうが、方法が一定ならば同質のデータがとれるはず、という考えは、この手のデータとりにはなかなかそぐわない面があると思います。
 調査日の天候やその年々の季節変化ようす、そして、たまたま、なんて問題がからむのは想定の範囲内で、これらはデータを読む時点で事情に応じた判断を加えることになったりするでしょう。が、調査者の力量ばかりはコントロールしようがありません。
 コンサル等による生物調査でも聞く話ですが、例えば、ある分類群に属する生物をその道の専門家が調査して数種、十数個体しかあげられなかった場所を別の調査員が調査したところ、数十種、数千個体を普通にあげてきた、なんて話も決して珍しいことではありません。生物調査における力量というものは、知識や技術、経験で培ったセンスや勘、現場における五感の感度や集中力などの総合体ですし、同時にその力量は変化するものであって、方法のみを統一することによってコントロールできる域を遥かに超えています。キノコ狩りや魚とりなんてものを想像してもらうとわかりやすいかもしれません。 
 また、調査員の知識や技術の部分に相当する話ですが、マニュアルにはとても書ききれないタイプの細かなノウハウというものも結果を大きく左右します。これはある意味、生物調査というものが避けて通れない部分だと思います。定量でなく定性調査なら大丈夫という話でもありません。

 とはいえ、方法が同一なら得られた結果は同質なはずという前提がないと、別個に得られたデータの比較が出来なくなってしまいます。直接比較はしないという分析手法もなくはないでしょうが、長期モニタリングの価値をいかすことにはなりません。調査員の力量の差によるばらつきをならしてしまえる程たくさんのデータがあるとか、個別の理由付けによりデータの重みを操作できればいいですが、そうもいかない場合は、無理矢理なんらかの理由をつけて突然環境が悪化したとか良好になったとかいう話にされてしまうこともあるわけです。というか、そんな例を実際いくつか見てきましたので。
 なんだか、モニタリング1000についての話というよりも、見つけて数えるといったタイプの生物調査全般についての不確実性というか、たよりなさの話になってしまいました。種の同定といった話になるとこれに輪をかけて面倒な事情があると共に、データベース化の困難さがつきまといますが、とりあえずこの話はここまで。

 長くなってしまいそうなので、続きは別エントリで。

       【1】 【2】 【3】 【4】  【Top】 

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2008年06月17日

写真について−記録写真

 生物調査、環境調査の現場は、最近特にたくさんの写真が求められるようになってきているようです。
 現場の様子を写した写真だとか、調査しているフリというか調査風景の記録だとか。
 調査で得られたサンプルの写真や確認した生物種の写真はもとより、調査員の集合写真や、朝礼をしている様子の写真まで必要な場合があったりするようです。
 デジカメの時代になり、手軽に写真で記録が出来るというという理由はありますが、もともとこれは生物調査系の現場にあった習慣ではなく思います。調査と撮影は手間的に相容れない場合が多いですし。
 早い話、建設現場の工程記録のノリですね。施行前、進捗状況、施行後等と書かれた看板を持って撮影するあれです。
 分野外の方にしてみれば、生物調査、環境調査というと、地球環境のためとか、孫の代に豊な自然を伝えるための仕事等と想像する場合も多いかと思いますが、現実的にはただの開発事業の一工程だったりします。かつては、事業の一環として生物の専門家に調査を依頼するという形だったのでしょうが、今はまるまる建設業界の一部と考えてもいいでしょう。どちらかといえば、守る方でなく壊す方ですね。
 これはアセス法以降顕著になった流れなのだと思います。それ以前と以降で調査精度があがったか下がったかについてはなんともいえませんが、調査することそのものに意義があるというようなルーチンワーク化は確実にしていると思います。だからこそ証拠写真がたくさん必要にもなるのでしょうが。

 ところで、これらの写真は報告書の厚さを増すためにたくさん使うことになりますので、カメラを横に向けて撮影したものが混じるのは嫌われます。レイアウトが面倒ですから。
 それと、明るさ等の修正やトリミングは偽造を疑われるのでダメ。撮影日や修正日のデータもチェック対象です。
 アホクサと思いますが、とんでもない不正の例も現実にありますので。
タグ:写真 建設業
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2008年06月11日

ヒアリング調査の困難

 環境アセスメントに関連してヒアリング調査が必要になることがあります。
 ヒアリングには数々の困難がつきまといます。
 まず、地権者の機嫌をそこねることになってはいけません。
 誰にヒアリングするかも重要です。「あいつのところにいってなぜおれには聞きにこないんだ」という声は、ただのグチではありません。対象地域の多くは過疎地だったりするので、とても大事な問題です。
 という話は一般論ですのでまあいいとして、最も大きな困難は、聞きにいったはいいが何をいっているのかさっぱりわからん、ということです。
 多くの場合、相手は地方在住の高齢者であり、かつプライドも高い対象地域の有力者です。できればその土地の言語がわかる社員をつれていきましょう。生物、農産物の地方名も可能な限り把握しておくべきです。でないと、笑いどころがわかりません。
 次に大きな問題は、相手は農林水産業のプロであり人生の達人かもしれませんが、科学的調査の専門家ではないということです。時間軸も自由にのびたり縮んだりします。
 彼らの目で見るその土地には、掘り返すと祟りのある場所もあるでしょうし、伐ったらいけない木もあります。ニホンオオカミだってまだたくさん住んでいます。昔多く最近少なくなった生物の話をふむふむとうなずきながら聞き、ノートのリストに相手が口にするまま「ツチノコ」と記録したというコンサルさんの話も聞いたことがあります。
 あ、あと、食べ物の好き嫌いはダメです。

#ヒアリングに関する面白い話を募集中。
posted by biobio at 15:59 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 各種調査の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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