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2012年10月07日

お願い









貴所属長以下全ての職員の方々へ、御伝達をお願いします。
もし「教育上、体罰が必要な時もある」「虐められる側にも原因がある」とお考えでしたら感情自己責任論 というwebサイトを御一読ください。
虐めや虐待・テロにも通じる「言って聞かなければ叩け」という体罰肯定論が抱える矛盾や社会に及ぼす影響等が解説してあります。
人権侵害に苦しむ人を一人でも減らすため、一人でも多くの方に御伝達くだされば幸甚です。
末筆ながら、今後益々の御健勝をお祈り申し上げます。返信不要匿名希望転載可

2009年07月03日

土建化せんといかん&エコポイントとエコ・アクション・ポイント

 小泉さん以降公共事業が減り、ということはつまり、生物調査・環境調査の仕事も少なくなって関係者のみなさんがヒーヒーいっているところ、同時期に起こった日本的談合秩序の崩壊は本来あるべき望ましい姿へ業界を変身させることなく、単に適正価格の崩壊となって関連業界をさらにヒーヒーいわせていたりします。まあグダグダですね。特に末端の調査員はたいへんなようです。比較的安定的に仕事がある猛禽調査でも、調査員の単価は一時期の半分近くまで下がっているなんて話も聞きます。プロフェッショナルとして仕事が出来るような状況からほど遠くなりつつあるわけですが、そうするといつのまにかプロの仕事を必要としない「調査やりましたぁ」だけが大事な世界になってしまうかもしれません(単価がアホくさいほど安くなっても一定レベルのプロ的仕事が継続する自滅的な道の可能性については後ほど改めて)。
 ま、そんなこんなな状況の中で、名言「宮崎をどげんかせんといかん」→「土建化せんといかん」が生まれたわけですが、この名言繋がりでいきついたコラムのバックナンバーからエコ・アクション・ポイントなるものをみつけました。いや、全く知らなかったです。聞いたとしても完全に素通りしてました。

土建化せんといかんで見つけたコラムはこれ。希代の名コラムニスト小田嶋隆氏による「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明
より、
「おっちょこちょいのヒマ人、『世論』を作る」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090626/198735/
(日経ビジネスオンラインの登録が必要になる場合があります)

で、エコ・アクション・ポイントについて書かれていたのは
「食べて痩せるダイエットと、『エコポイント』の共通点」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090522/195568/

エコ・アクション・ポイントのロゴマークだか推進キャラは「よだれ熊」(小田嶋さんによる命名)。ここで会えます。
http://www.eco-action-point.go.jp/

頭の右後ろのあたりがこそばゆくなるようなキャラですが、小田嶋さんの超絶紹介でエコポイントとの関係を知ると、なんだか胸の奥がキュッとするような、どうにかしてあげたくなるような顔に見えてきます。

環境省さん、私はさみしい。
以前、「モニタリングサイト1000」について
http://biobioenv.seesaa.net/article/110256781.html
で、少々つれないことを書いてしまいましたが、肩身の狭い思いをしていたんですね。頑張って下さい。
あ、でも、天下りはしなくて結構です。調査なんてしもしないなんちゃら法人なんちゃら協会が横から入ってきて業務受注すると、現場に流れるお金が減るわ伝言ゲームで話が通じないわで、迷惑なだけですから。

2008年08月14日

環境関連記事:石油問題の�ウソの顔�:養老孟司

環境関連でおもしろい記事があったのでご紹介。

環境関連記事:石油問題の�ウソの顔�:養老孟司(東京大学名誉教授)
      gooニュース、Voice


以下、小見出し
・語られなかったピークアウト
・誰に向かって倫理を説いているのか
・「本を絶つ」のが、いちばんもっとも
・代替エネルギーだってどうせ同じこと

 昨今の温暖化ブームの中、問題の中身にちゃんとふれてくれる記事に出会えるとほっとします。
 本題の周辺に、

>科学者なんて世間知らずのはずだから

とか、

>いわゆる経済発展は、エネルギー消費と並行する。経済学がそれを
>「発見」するのは1970年以降のことで、しかもそれを発見したのは
>ドイツの物理学者だった。という話をストローンの本で読んで、
>開いた口が塞がらなかった。素人が口を出す意味があるわけだ。
>それまで経済学者は、どこを見て、何を考えていたんだろうか。

とか、おもしろいことがいろいろ書いてありますが、それはともかくとして、温暖化対策関連予算を消化するために胃薬を飲みながら「我ながらしょーもな」ってな事業をひねり出す役人さんも、「アホかいな」と思いながらも大真面目に効果を計算するコンサルさんも、がまんがまんの下請けさんも、言われるがままに葉っぱの枚数をひたすら数えるマシーンと化したバイトさんも、寝るときゃ寝ないと。いや、それが本題の記事じゃないんですが。


2008年07月18日

調査は誰がするのか-元請け、下請けの話

調査の仕事が発生する大まかな流れは、ここに書きましたが、その過程で生じるへんてこなことについていくつか。

 調査の業務が入札制になっているばあい、入札参加資格のあるコンサル等が入札、受注して調査が始まるわけですが、実際のところ、受注したコンサルはマネージメントに徹し、調査そのものは調査会社等に外注することが多いようです。データを出すことのみを外注する場合もあれば、報告書からなにから全てまかせる丸投げも ふつうにあります。で、外注された下請けの調査会社もまた、事情によりけりで他の会社に投げたりします。
 こうなりますと、複数年続く調査の初年度はAコンサル、翌年度はBコンサルが受注したとしても、実際の調査は同じ下請け/孫請けの調査会社や同じ調査員が行っていたなんてことが往々にしてあり得るわけです。
 現実的な話、生物調査は誰が調査したかに結果が左右されがちです。能力の違いはもとより、この山の西斜面のこの杉の木は鳥がよくとまるので要チェック、とか、この川はここらあたりの流れが危険だとかの、報告書に現れない情報がものをいいます。植物調査なども、歩いたことのある山かどうかで、作業効率だけでなく確認できる種類にも差が出てきてしまうかもしれません。対象とした動物の個体識別が必要な調査に至っては、調査者が調査対象と接した回数、つまり経験回数以外に精度をあげるのは困難でしょうし、場合によっては調査対象(動物)の方が調査者(人)を識別し、それが調査上不可欠な経過になるかもしれません(知っている顔ならそばにいても気にしないが、知らない顔の人間が近づくと威嚇や攻撃行動を始めるとか)。
 種類が多く種の同定の難しい昆虫類などでは、出現した種が調査者の得意分野かどうかでかなり結果に差異があらわれる可能性があります。通常レベルの技術を持つある人が「○○属 sp.(○○属の何かの種の意味。即ち、属はわかるが種まで落とすことは不能だったなにがしかの種)」と同定して計数したものを、その分野が得意な別な調査者は、その属の中に複数種いることを確認してそれぞれ別々にカウントするかもしれません。こうなってくると、種類別の個体数から算出される「多様性の指数」なども、単純には比較できない数値ということになってしまいます。
 なんにしても、毎回毎回初めて現場に入った調査者の出したそれぞれ別々の結果よりも、複数回にわたって同じ調査員が現場に入って出したデータの方が、質的に安定し、各回の結果を直接比較しやすいデータになっているとみていいでしょう。同じ建設業関連の仕事とはいっても、他の業種と質的に異なる生物調査ならではの技術の問題があるわけです。
 このことは、実際の調査にあたる下請けの調査会社からしてみれば、安定した品質のデータを出すにはどこのコンサルが元請けになろうとどうでもいいということになります。入札時に入念にチェックされたはずの入札参加業者の技術力なんてものは、実はどうでもいいものだったということですね、
 もちろん、入札には技術力以上に価格がものをいうわけですが、ちょっと極端な言い方をすると、事業費の多くは元請け会社の社員を養うためにつかわれます。で、下請けにはそのあまりがまわってくるだけの話ですので、下請けにしてみればその価格で仕事を受けるか受けないかだけの話です。
 となると、実際に調査にあたってきた調査会社に直接発注できれば品質維持の確実性からいっても経費の節約からいってもずっといいわけですが、それはそれで難しい事情があります。調査会社の多くは専門分野が特化していますし(つまり、多分野にわたる総合的な調査には外注しないかぎり対応できない)、そもそも入札参加資格(技術士等の有資格者の人数や過去の実績などなど)も満たすのが困難です。だからこそ、元請けとなったコンサル等からの仕事を請け負っているわけです。マネージャーと実働部隊のような関係といえばいいでしょうか。
 マネージャーが必要な仕事ばかりでもないでしょうが、現実はこんな感じ。

 またこのことは、その業務について全く技術をもたない業者であっても、技術士の人数などの要件を満たせば、価格しだいで落札できてしまう可能性があることを意味します。ある業者が猛禽調査を落札したはいいけれど、それがどんな調査かさっぱりわからないため人づてで自分に問い合わせてきた、というフリーの猛禽調査員の話を聞いたことがあります。
#この業者の場合、価格でなく天の声で落札してしまったのかもしれませんが。

 ついでに、こんな話もききました。

 とある河川のモニタリング調査業務。
 A社はその業務を数年にわたって直受けでやってきました。ところが、役所側で特定の業者に発注し続けるのは癒着を疑われるためにまずいということで、ある年からB社がその仕事を元請けとして受注することになりました。ところがB社はその業務を遂行する技術や設備がないのでA社に外注しました。
 ということで、A社はずっと同じ仕事を続けるだけのことであるにもかかわらず、その年を境に、何年か後にやってくるであろう直受け復活の日を待ちながら、B社を養うための費用をさっ引いた金額でもってしばらく我慢しつづけることになったわけです。
 とはいえ、A社はそれでもやっていけるわけですから、もともとの予算額の意味とか、マネージャーの役割ってのは、いったいなんだったんでしょうね、という話。

生物調査にかかわるお金の流れ

 元請けとして調査業務を受注したコンサルが下請けに仕事を流すとき、その額は受注額から何割か引かれた額となります。孫請けに仕事が流れるときは、さらにそこから何割か減。ひ孫受けになるとさらにさらにまた何割か減。
 入札・受注には様々な形での熾烈な争いがありますし、入札参加要件となる各種資格保持者を会社に在籍させておかなければなりませんので、それなりの経費がかかります。天下りを飼っておくための費用が必要なところもあるでしょう。業務のマネージメントをし、外注したデータをとりまとめ、何度も会議に出席し、報告書を作成するといった仕事にかかる経費もそうとうなものになるはずです。そのための費用が受注額の何割というほぼ一定の割合であるのが適正な線かどうかはわかりませんが、通常はだいたいそんな感じであつかわれるらしいです。
 ともあれ、こんな感じでお金が流れますので、孫請け、ひ孫受けと、外注の段階が下がってくると、実際の調査に使えるお金は現実的にかなり厳しいものとなってしまうわけです。

 現地調査からとりまとめまで、業務の全てを元請け一社で行えば効率が良いようですが、必ずしもそれがベストでない理由があります。ひとつは、いつ仕事が発生するかわからない多方面の専門家を常に飼っているわけないはいかないからで、これは各分野に特化した調査会社に外注する方がずっと効率よくなります。もちろん、分析設備や機材等の問題もこれにかかわります。
 もうひとつは、官から発生する調査業務での支払いが、通常完了後か年度毎であり、手付金などあり得ず、中間払いもほとんどの場合で無いといった事情があります。
 となりますと、外注に出すということは、その期間中の支出を大幅に削減することに繋がります。
 特に、現実の調査では個人で活動する調査員を多く使うことが少なくないわけですが、その場合請負法によって支払いを送らせることはできません。自分のところで調査せずに他の会社に投げて個人調査員を雇わせれば、最大の経費である人件費の負担も肩代わりしてもらえるということになるわけです。
 ということで、下請け孫請けひ孫受けと仕事は流れ、みなさんカスカスで自転車をこぐことになります。


 ところで、元請けのコンサルによっては、報告書の作成を含めて下請けに丸投げし、発注者と実際の調査担当との間の不器用な伝言ゲームの仲介をするだけのところもあります。専門知識など皆無でも問題ありません。が、それでも何割かをごっそりもっていきくと聞きます。
 下請けでやっていた会社が直接入札に参加してその受注できさえすれば、そんな会社はいらないということになってしまいます。つまり、発注が官の公共事業がらみの調査であるならば、その元請けの取り分はただの税金の無駄づかいでしかないと思えてしまいます。

2008年07月07日

生物調査と調査員の力

 コンサルや調査会社の社員であれフリーであれ、調査員として有能か無能かは、当然生物調査の能力にかかってきます。
 能力といっても様々タイプの能力があります。
 たとえば、手際よくたくさんの数ないし種数の魚を採る能力、数限りなく思えてしまうほどたくさんの植物や昆虫の種を見分ける能力、遠方で飛翔するタカの種や個体の特徴、行動内容を的確に見極める能力、限られたフィールドサインからそれを残した動物に関する情報をいかに多く得ることが出来るか、などなど。
 が、結局は対象種について、分類体系における位置づけと共にその性質・生態を生息する環境条件を含めていかによく把握しているかという問題が重要になり、それは、調査・観察した現象から種内、種間、環境との関係性や意味をいかに読み解くかということに繋がります。また、ときにはこれらのことを現場で素早く的確に判断出来るか否かといった時間、瞬間との勝負といった側面もあります。
 どれもこれも正確な知識が無くては話にならないわけですが、調査員としての実力の高い人の話を聞くと、知識の一次的な活用だけではなんともならなそうな話題がたくさん出て来ます。彼らは、それぞれ生き物の生き方を規定する能力のしなやかさ、あるいは限界について、とても謙虚な視線や姿勢を持って見ているように感じます。現場での豊富な経験、あるいは生態学や生理学、進化論といった学問ベースの洞察力から、先入観やその時点で言われているセオリーを鵜呑みにすることの危険性をよくわかっているからでしょう。この姿勢は、環境の人為的な改変とそれに対する生物の反応といったものの把握や予想が重要となる調査においては、とりわけたいせつなものであると思います。
 ちなみに、彼らからのアウトプットとしては、報告書の形が求められた場合をのぞき、数値化されたデータそのものと、その解釈や今後どう調査をすれば効率よく目的に近づけるかといった見解の提示やアドヴァイスといったものになります。

 ここで問題になるのは、生物調査がこれほど調査員の実力に依存しているということになると、調査員がかわれば得られた結果が変わって来てしまうのではないか、ということです。
 実際そういうことは多いようで、任意採集、任意調査などの対象エリアに生息する対象生物群を現場においておおまかに把握する調査では、調査する人によって結果が大きくちがってくると聞きます。能力、技術の問題に加え、調査員個々人の得意不得意、興味の方向、視線の傾向といったものもどうしても関わってきてしまうからです。

 これに対する対策としては、毎回同じ会社、同じ人が調査に当たらせることによって、質や傾向として一定のものをもった結果を維持しようとするやり方があります。
 もうひとつは、誰がやっても同質の結果が得られるようマニュアル化する方法です。
 後者のマニュアル化については前者の場合でもある程度必要なものではありますが、生半可な行き過ぎは調査員の能力といったものをどうでもいいものにしてしまう可能性が高くなります。日当が高くなりがちな実力ある調査員を使わず、安い素人のアルバイトでも仕事はこなせるということになるわけですから。
 それはそれでいいだろうという話は確かにあります。現実問題、調査にかけられる予算には厳しいものがあるようですし。
 が、最も重要なのは、調査結果の内容を理解する力もその気もなく、現場を知らずに作った記録用紙が空欄無く埋められてさえいれば満足いく役所やコンサルの担当者にとっては、そもそも質的問題にかかわる話など豚に真珠だという話です。

 前者に関しては、業務発注に関する事情や入札、下請け、孫請けといった業界事情もからむので、そのうち別エントリで触れるつもり。


2008年06月18日

アセスの虚構とかなんとか

 古い記事になりますが、こんなのがあります。
 1998年4月27日付けですので、1999年施行の環境アセス法施行前夜といったところ。

アセスの虚構 −開発前提 機能せず−
http://www.chugoku-np.co.jp/setouti/newseto/980427/980427.html

 環境アセスメントならぬ「アワス(合わす)メント」などというオヤジギャグがはやっていたこの記事の頃以降、環境アセスメントに関して法整備を初め少しずつ状況は変化してきているとは思いますが、本質的なところはあまり変わっていないような気がします。
 大きな違いといったら、レッドリストを巡る保護保全のあたりくらいでしょうか。

 この古い記事をとりあげるのは、ずっと気になっていた記述があるからです。
 京都精華大の山田国広氏へのインタビューの部分。
「分厚い評価書面には、専門家でないと分からない数字のら列と『環境への影響は軽微』という判で押したような結論だけ」なんてのもひっかかりますが、一番はここです。
 「行政など開発者からアセス業務を請け負うコンサルは、実にデリケートな立場だ。調査結果が基準値を上回るのはまずい。最悪の場合は改ざん、そうでなくてもさじ加減のようなものはある。コンサルの職場は、大学で環境を学んだ人の受け皿でもある。いくら有能な人が一生懸命やっても、データは環境を守る方向には生きてこないわけで、彼らは『もっといい仕事をしたい』と悩んでいる。」

 コンサルさん、悩んでますか?

 私が幾人かのコンサルさん−−−あ、ここでいうコンサルさんというのは、アセス業務等の環境調査や生物調査を請け負う建設コンサルタントや環境コンサルタント会社の社員さんのことですが−−−に、環境を守ることと実際の仕事について訪ねてみたところ、
「昔は色々思ったりもしたけれど、あれこれ考えていられないほど忙しくて」
「考えても無駄なことは無駄」
「金さえくれればどうでもいい」
といった答えがほとんど。
「うーん、そうなんですよね」
と言ったあと、なにかを思い出そうとするように遠い目をして
「そうなんですよねえ」
とただ繰り返しただけの人もいました。
 どうも、悩むというよりも諦めモードか、あえて考えないようにしている、といった感じが強いようです。
 なかには、
「報告書を書くたびに苦しんで苦しんで、結局胃を半分切って仕事をやめたよ」
なんていう元社員もいて話を聞くのもつらかったです。

 環境を守りたい、環境にかかわる仕事がしたい、なんていう漠然とした希望は無知な学生の甘っちょろいセンチメンタリズムの範疇でしかないとしても、これが環境にかかわる仕事の代表格のような職場の現実だということになると、今のコンサルは環境や生き物世界について学んだ学生の受け皿として、あまり適当なところではないということになってしまいます。
 同様に、彼らに仕事を出す仕事、つまり、誰かが決めた予算を恙無く消化することのみに腐心するしかないような役所勤めも、自分の頭でものを考えられる優秀な人材の受け皿としては、適当なところとはいえないでしょう。

 「自然との共存・共生」などというキャッチコピーはともかく、具体的にいったいどんな未来図を描くのかという政治・行政のビジョンの問題であるとか、建設業界に予算をばらまき続けなければ倒れてしまうこの国のあり方そのものの問題であるとか、開発事業と環境問題に関して議論すべきことは沢山あると思います。が、生物調査、環境調査の当事者であるコンサルや調査会社、そして直接その事業を担当する役人が、こういった議論のかやの外にいるという現状はあまり健康的でないと思います。
 よけいなことを言えば次の仕事がもらえなくなるなんてことは決してありません、遠慮せずにどんどん言いましょう。なんていえたらいいですが、きっとそういうことはあるんだろうなあ。

2008年06月13日

報告書作成について−厚さの問題

 ワトソンとクリックは、わずか900語の論文で世界を変えることとなりました。DNAの立体構造に関する『Nature』の論文です。
Watson J.D. and Crick F.H.C. : Molecular structure of Nucleic acids. Nature 171, 737-738 (1953)
 科学論文は、最も大切なその理論のエッセンスが確実に伝わるよう、無駄をそぎ落とし、可能な限りシェイプアップします。違う意味にとられてしまうことなく、あいまいさを排除するよう、言葉や言い回しも慎重に選択します。短さはエレガントな理論の証といっていいでしょう。長い論文は、長いという理由だけでダメという研究者もいます。

 その対極にあるのは、環境コンサルタント会社がお客さんの要請に従って作成する報告書です。
 この手の報告書で最も重要なことは、縦に立つかどうかということにあります。
 横幅(厚さ)が高さ(普通A4サイズですので約30cm)を超えるかどうかにしか関心のないお客さんも少なくないようです。
 お客さんとは、多くが役所の担当者のことです。

 なお、厚い方がいいいとはいえ、文字が多い報告書は嫌われます。証拠写真、試料写真はたくさんあるほどよく、概念図のような絵も好かれます。表には異常な関心をよせるので数字のミスは厳禁。

#とはいえ、一部のろくでもない役人以外は、本当は報告書の厚さなどたいして気にしていないのかもしれません。論文でなく調査報告書なのですから、仕様書に従ってデータをあつめればそれなりの量になるのは当然のこと、予算額の大きい仕事であればあるほど単純に厚くなるというだけの話です。
 が、権力を持ち高圧的な態度の場合が多いお客さんに対し、継続的に仕事を受注したいコンサルさんのサービスによる先回りがエスカレートしてしまった結果、むやみやたらと厚さを求めることになったという面はありそうです。厚さを喜ぶ役人が少なからずいるからという理由にかわりはないわけですが。


2008年06月10日

天下りと一番絞り

 役所を退官退職して民間企業に天下ったばかりの人は「一番絞り」というそうです。
 次々と企業を渡り歩いた場合、二番絞り三番絞りなのか二番煎じ三番煎じなのかは聞きそびれました。
 企業の獲得した天下り役人には、誰もその手腕や実力など期待していないので、古巣との人脈が途絶えれば搾りかすかお茶殻になります。

生物調査、環境調査の仕事発生までの流れ

 大規模な環境改変を伴う事業を行う場合については環境影響評価法により生物や環境の調査が義務づけられていますが、その規模でなくとも、各種条例等によって調査の必要が生じる場合があります。これらについて、その事業主体は官民にかかわらず環境調査の業務を発注することになります。
 多くの場合、調査業務を請け負うのは建設コンサルタント会社や環境コンサルタント会社、分析調査会社、公社等となります。
 業務を受注した会社等は、自前で調査する場合もありますが、全部、または一部を専門の技術力を持つ調査会社に委託します。このような流れで、実際の調査は必要とされる分野の専門性の高い調査会社が行う形になります。調査会社は調査内容や事情に応じてフリー生物調査員を使う場合が少なくありません。
 入札、丸投げ、下請け、孫請け、ひ孫受け等の話題は別エントリで。
 また、自前で調査できる状況にあっても外注することが少なくない事情についても、別エントリで。
 さらに、天下りやお金の流れの問題も別エントリで。

#事情通の方の記事投稿を期待します。


技術士

 技術士法に基づく日本の国家資格。
 有資格者は技術士の称号を使用して、登録した技術部門の技術業務を行えるということになっている。
 現在21の技術部門が定義されているが、建設・環境コンサルタント会社において環境アセスメント等の生物調査や環境調査にかかわる場合に関係する主なものは、建設部門や環境部門である。重ねて総合技術監理部門の資格を取得すればさらにハクがつく。
 入札参加資格に直結する資格なので、関連企業は業務受注のための駒として重宝する。現実的な問題として、それ以上の意味のある資格かどうかは個々の技術士の力量次第であり、業務遂行の主導権を握る技術士の思惑が現場の実情と遊離している場合も少なくない。というかそういう話ばっかり聞くぞ。ちゃんと勉強しろ。


タグ:技術士

2008年06月09日

生物分類技能検定

生物分類技能検定は、財団法人自然環境研究センターが認定する生物分類の検定試験。
http://www.jwrc.or.jp/Approval/top.html

開始は平成11年(1999年)。試験区分は以下の通り。

1級
 動物部門 - (専門分野:哺乳類・爬虫類・両生類、鳥類、魚類、昆虫類)
 植物部門 - (専門分野:植物)
 水圏生物部門 - (専門分野:浮遊生物、遊泳生物、底生生物)
2級
 動物部門
 植物部門
 水圏生物部門
3級 - 生物一般の知識・技能のある者
4級 - 生物一般の知識・技能に興味のある者

 開始当初は、生物分類を資格にするなどナンセンスであるとか、実力のない者の資格頼みなどといった声も多く聞かれた。が、一般競争入札・指名競争入札において、生物分類技能検定が参加資格として記載された業務が増えてきているため、生物調査業界では業務受注のために重要な資格となってきている。
 なお、「生物分類技能検定」は、財団法人自然環境研究センターの登録商標。

タグ:生物調査

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