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2009年01月16日

「北限のサル」下北半島のニホンザル3 餌付けと猿害

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「『北限のサル』下北半島のニホンザル2」に引き続いて、下北半島のニホンザルの話題。


 餌付けと猿害について

 猟銃が普及する前の時代はまた違った状況にあったかもしれませんが、下北半島においては、1960年以前にサルが人里へと出てくることはめったになかったようです。
 戦後急速に行われた山の木々の伐採とスギ植林化が、主に食べ物の不足等の理由によってサルの住処を失わせ、人里へと向かわせたとみることができます。普通、野生生物はわざわざ危険をおかすような行動はとりません。早い話、その頃までの下北のサルは、人を避け人を見れば逃げるという山の生き物であったはずが、記録的な豪雪等といった事情もあって、やっと探した食べ物のある場所が人の暮らす土地であり、人の作った畑だったということでしょう。サルならではの好奇心もあったかもしれませんが、それは二の次の話だと思います。
 村の人たちは突然の珍客をおもしろがったり、餌不足の猿を哀れんで餌をやったりしながらも、農作物を守るため必死で山へと追い返そうとしました。漁業主体の小さな集落であり、畑は産業とは言えない自家消費主体のものでしたが、だからこそ日々の糧として守らねばならないものでした。
 そんな中、識者の監修の元、餌付けが始まったわけです。
 前のエントリで下北の場合の餌付けを始めた目的を書きましたが、餌付けというのは当時の流行だったといっていいかと思います。餌付けしたサルならば一般の人も気軽に間近で見ることができるため、特に価値もなかった野生のサルを観光資源化することが出来たからですが、その直接のきっかけは、京大の研究グループによるニホンザル社会の研究において、餌付けという操作が大きな成果を上げていたことでしょう。
 今ではその解釈において大きく異なった見方がされていますが、ニホンザルにボスザルを中心とした同心円状の社会構造があったという研究成果が出て来たことは、当時センセーショナルな出来事として驚きを持って迎えられ、そして、広く一般に受け入れられました。
 群れの安全を守るかわりに食べ物やメスを独占するボスザル、ボスの庇護の元、子供を愛情深く守り育てるメスザル、武者修行で力をつけいつかボスの座を乗っ取ろうと隙を伺う若者ザル、などというキャラ立ては、慣れ親しんできた戦国武将の物語と相性バッチリですし、まだまだ色濃く残っていた軍国主義的、男権主義的な社会認識の感覚からも全く逸脱していません。それまで、単なる烏合の衆としてしか認識されていなかった「エテ公」たちの集まりが、突然、人間社会の縮図に見えてきたという話だったわけです。ただし、単純に人間社会のアナロジーというわけではなく、人間の現代社会よりずっと格下の、原始的で野蛮で稚拙な社会として捉えられたという点には注意しておく必要があると思います。微笑ましいとかかわいいという言葉を使ったとしても、中身はいっしょでしょう。
 現在では、このようなニホンザルの群れ社会の見方は、餌付けという人為的操作があることを前提とした特殊な事例としてみるのが妥当となっていますが、そのへんの話題については、また別の項で触れたいと思います。
 ともあれ、餌付けによってサルの観察が容易になったため、そのような観光地では、一般の観光客たちもいったい誰がボスザルなのか必死に見分けようとして観察し、係員が語る、ボスの座を巡って繰り広げられるサルたちの波瀾万丈、お涙ちょうだいの物語に耳を傾けたことと思います。
 下北半島での餌付けに関しては、天然記念物指定された北限のサルを保護するという大きな目的もありました。ただ、餌の不足しているサルたちのために、一カ所に集めて豊富な餌を与えれば農作物の被害は軽減できるだろうという目論みはもろくも崩れ去りました。餌付けするということは農作物の味を覚えさせるということでもあり、サルが餌場と畑を区別して餌あさりをしてくれたりはしなかったからです。
 そんなこんなで、サルたちによる農作物への被害はとどまることを知らず、栄養条件の向上は個体数の増加へと繋がり、被害はさらに拡大しました。
 餌付けによって急速に縮まったサルとひととの距離が被害を大きくしたということは言うまでもありません。餌付けされるということは人に慣れるということでもあり、かつての人間をさけて暮らしていたサルから、サルそのものが大きく変わってきたということになります。
 が、餌付けをしなければ猿害は起きなかったかといえば、そんなことはないでしょう。人里へ出てこない群れを含め、今なぜこれほどサルの数が増えているかについて、私は資料を持ち合わせていませんが、山の暮らしで餌不足があれば、おそかれ早かれ人と接触する機会は出て来ただろうからです。一度降りて来てしまえば、人が餌など与えなくても畑の作物も放置されたくず野菜もゴミ捨て場の野菜くずも、みな彼らの食べものとなり得てしまいます。
 ただ、人と同じく、サルにも個性があります。人に近づこうとしないサルもいれば、かかんに人に近寄り、餌をねだったり、ときに攻撃すらしてくるサルもいます。民家に入り込んでは仏壇に置かれた食べ物を食べて帰るサルもいます。そして、こういったチャレンジャーザルの行動に利があれば、それが他のサルに影響を与える可能性があります。過去の猿害防止のための捕獲作戦で、慎重に個体を識別しその個体を選んで行おうとした理由はここにあるわけです。

 下北半島におけるニホンザルの餌付けと猿害については、だいたいこのような流れで来てますが、全国各地の猿害の実情を見るまでもなく、サルに餌を与えるという行為は人にとっていい結果をもたらさないようです。「つけあがらせるだけ」と表現するのが最も簡単でしょうか。
 おもしろ半分にスナック菓子を与えてしまう大人もいれば、小鳥やペットに対すると同じ思いで餌を差し出す子供もいます。下北でもまた、頭に雪をかぶっているサルを見た農家の人たちが、かわいそうに思って餌をあげたなんてこともごく普通にあったわけです。これなどは「人情」の範囲の行いとしてとらえてもいいかもしれませんが、結果としては同じことです。
 特定のサルと特定の人という個別の関係においては、餌を介したとしてもそれなりに規律ある関係を結ぶことも不可能ではないでしょうが、不特定多数のサルと不特定多数の人間という関係においては、もう、どうにもならないと思います。

 このあとは、捕獲処分と研究者や調査員たち、そして、サルとの共生、共存ということについて考えてみたいと思います。



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この記事へのコメント
なぜサルやシカが増えているか、との疑問以前に私が気になっていたことは、なぜ下北にサルがいて、その南に空白地帯があるのか、ということでした。
北海道にはエゾシカがいて、一時は野生化したイノブタが繁殖していたことなどから、シカやイノシシが青森県まで自然分布していても良さそうなものですが、東北地方には不自然な空白があります。
この疑問は遠藤公男著「帰らぬオオワシ」を読んで解決しました。明治維新直後に狩猟が野放しになり、岩手でイノシシとシカが絶滅したことが、老ハンターからの聞き書きで綴られています。サルも主に薬として撃っていたそうです。
農閑期の冬に大勢が山に入ればイノシシやシカは不利で、地域絶滅したことも頷けます。葉を落とした木に登っているサルの群れも見つけやすい獲物でしょう。冬眠するクマと、単独で比較的高標高域に生息するカモシカは全滅を免れたのでしょう。
過去30-40年の狩猟圧低下により、逆転が起きました。森林環境の変化のため、生息密度は昔とズレがあるはずですが、東北地方の空白域は現在急速に埋められつつあり、あと10年前後でほぼ昔どおりのシカ・サル・イノシシの分布域が回復するのではないでしょうか。
これらの哺乳類による農地被害が約150年間なかった地域でも獣害が発生します。農民は「動物が急に増えた」と言うでしょう。それは間違いではありませんが、昔いたものが復活しただけで、これまでの「平和」の方が不自然な状態だったとも言えます。
いずれにせよ、何らかの形で野生動物と戦う必要があり、その結果の平衡状態として野生動物との共存が成立するのだと思います。
Posted by キノコハンター at 2009年04月27日 08:53
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