「「北限のサル」下北半島のニホンザル1」に引き続いて、下北半島のニホンザルの話題。
下北半島に生息するニホンザルと、それによって引き起こされている猿害に関し、現在に繋がる経過を簡単に整理します。
1960年、半島南西部の九艘泊という海べの小さな集落に、15頭ほどのサルが姿をみせました。農作を食い荒らす等の猿害が始まっています。
1963年、餌付け開始。15頭の群れのために餌場が作られました。
餌付けの目的は以下の四つ。
・決めた場所でじゅうぶんな餌をやることにより、農作物の被害を防ぐ。
・サルをきまった場所に集めることにより生態研究をしやすくする。
・観光資源としてのサルの活用。
・餌を与えることで、すみかを失ったサルたちを保護する。
1970年、天然記念物に指定されました(「下北半島のサルおよびサル生息北限地」として)。
この頃より個体数の急速な増加が見られています(餌付けで栄養状態が良くなったことによる増殖に加え、山から降りて来た別の群れとの合流も考えられている)。農作物への被害が拡大しています。
1981年、餌付け中止。
1982〜1983年、増えすぎたサルの数を減らすことを目的として、130頭ほどが捕獲されました(捕獲後、一部は村にある公園のサル山へ、その他は全国各地の動物園などへ)。
1985年頃、逃げ延びた猿が三つの群に別れて暮らしていることが確認されました。
その後は、人慣れし、人の食べ物の味を知っているサル(餌付けを経験した群れのサルの子孫)を中心として農作物への被害が拡大していきます。畑は文化庁や環境省による電気柵で農地が囲まれ、地元の人はまるで檻の中で農業をする状況となりましたが、柵を乗りたサルによる被害は後を絶ちません。また、特定のサルが民家の中まで入ってきて荒らすという話も多くなりました。
個体数の変化については、以下のようになります。◆印は、捕獲の記録です。
1960年代:下北半島南西部および下北半島北西部で、6〜7群、150〜200頭程度。
1970年、北西部個体群で3群100〜135個体、南西部個体群で4群103頭。
1981年、推定8群380頭。
◆1982年、130頭ほどの大規模捕獲(脇の沢村域で把握されていたニホンザルでは2/3程度にあたる82頭)。
1988年、北西部個体群で8群約250頭、南西部個体群で5〜6群約100頭。
1996年、北西部個体群で8〜10群約400頭、南西部個体群で6群180頭。
2001年、25群で推定約1,020頭、
2004年、28群で推定1,500頭以上
◆2004年、14頭を薬殺処分
2007年、44群1,635頭
※個体数の出典は省略させていただきました。webで簡単にいろいろ出てきますので。
サルのようすや猿害の具体的な話については、次の回で。
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