即ち、「前回調査と同様に今回も調査して下さい」という依頼です。
別エントリにも書きましたが、多くの場合、調査の実働部隊は業務受注したコンサル等ではなく、下請けの調査会社やフリーの個人調査員であるため、「前回」というのはどこかの知らない誰かがやった調査を指すことが少なくありません。元請けにしても、年度毎の入札であれば毎年違う会社が受注したところで不思議ない話ですので、調査を取り仕切る立場の担当者ですら「前回」というものの中身がよくわからなかったりします。発注側の担当者もまた、人事異動によって「前回」のことなど引き継ぎ書の中の一行でしか知らない人になっていたりします。
ということで、たよりは前回の報告書ということになるわけですが、当然ながら報告書には細かいことがなにからなにまで書いてあるというわけではありません。もちろん、前年に受注した会社からより詳しい情報を得られることも無いわけではないですが、これは入札で競うライバル会社にお金にならないよけいな仕事を頼むという意味になるわけですから、発注者を通して依頼するとしても、そう期待できるものでもないでしょう。
こんな事情も含め、「前回と同じで」という言葉は、時にかなりの難題となる場合があるようです。
例えば、植物相調査の場合。
これは指定されたエリアの中を踏査して確認できた種をかたっぱしからあげる作業になりますが、まずはどこをどう歩くのか決めるところから始まります。通常、地図を見て、実際の山を見て、できるだけ多くの種をあげるべく踏査ルートを選びます。ある程度以上の距離を踏査しておかなければちゃんと調査をやったとは見なされないし、距離を稼いだところで、似たような環境のところばかり歩いていては出現する種も限られます。ですので、地図にのっている道を基本線としてあたりつけ、あとはケモノ道を含め、比較的歩きやすいところを選んで調査をします。で、環境に変化が見られる場所等、その人なりの感覚で気になったところで、薮なり崖地なり湿地などに突入するということになります。道を歩くというのは決して楽に歩きやすいからというだけでなく、道沿いという環境が様々な種が出やすい場所ということでもあります(道が作られなかったらそれは生えることが出来なかった種なのかという問いは面倒なのでわきにどけておきます)。
で、一度道を離れてしまえばあとはそこに生える種、遠くにみえる花に呼ばれるままに奥へ奥へといってみたり、ショートカットの形で林を抜けて別の道に出てきたり、崖や湿地に遮られて目指す方向とまるで別の方への迂回を強いられたりします。道からあまり離れないようにしようとしたところで、道自体がなくなっているなんてことも普通にあります。にっちもさっちもいかなくなり、やぶこぎをしたり、斜面を滑りおりたり、あるいは落ちたりします。危険な獣の気配を感じ、そっと逃げたりもします。イバラの中を血だらけになって抜け、底なし沼でもがきもがき、やまんばの家の庭をこっそりつっきったりします。ときには穴を掘ってうんこもします。上げられそうな種を上げきってしまう頃と疲れてくる頃は不思議と一致し、歩きやすい道に出るのも不思議とその頃だったりします。普通、遭難は絶対しません。次から仕事がこなくなるからです。
そんなこんなで、全員が全員ではないと思いますが、調査員の歩く道が傍目からは極めて適当でいきあたりばったりなルート選択となったところでなんら不思議はありません。目的はたくさんの種をあげることと、怪我をせず、常識的な時間内にきちんと帰ってくることです。で、歩きながら、または一区切りついたところで、もしくは帰ったあとで、踏査したルートを「こんな感じだったかな」と地図に落とすわけです。一度地図に書いてしまえば、なぜその道を選んだのかなんて理由がどんなであっても、その道のプロですので様々な環境条件の場所をカバーした立派な踏査ルート図にみえるものが出来上がります。GPSがあればそのデータも使いますが、衛星の見つかりづらい森の中のこと、軌跡は非人間的な動きを示します。
てな調査をした結果が、等高線何本にもまたがるぶっとい線の引かれた踏査ルート図、及び出現種リストとして報告書のページを埋めて翌年の調査員の手にわたり、そこに「前回と同じルートで」という言葉が添えられてくるわけです。
難題ですね。
長くなってしまいましたが、きちんとした測量のされていない調査ラインを示した大雑把な地図を元に「前回と同じで」といわれた場合、いったいそれがどこなのか現場へいってもさっぱりわからないなんてこともあります。
もとの地図が大雑把なのだから適当にラインを決めちまっても大丈夫かといえば、そうはいきません。たとえば、前回データに柳の木が一本記録されていたなら、そのデータと同じ位置に柳の木が一本だけはいる調査ラインをなんとかして探さなければ、その柳が突如消滅したか、歩いて移動したか、分裂して増えたか、なんていうことになってしまうからです。普通、写真データも求められるので、安易に調査ラインを選んで、あとで「場所が違うよ」と言われたら面倒なことになります。
動物調査で「前回と同じで」と言われたときは、前回トラップをしかけた場所と同じところにトラップをかけろという意味だったりすることがあります。トラップをかける場所なんて、そのときそのときの状況を見ながら調査技術者としての力量において最も効果が高いと思われる場所を選ぶわけですから、「前回と同じで」という言葉は「成果を上げるのをあきらめろ」と同義だったりもします。聞いた話ですが、前回調査でモグラの坑道を狙ってしかけたトラップを、今年は坑道の影も形も無いにもかかわらず全く同じ場所に仕掛けろと指示された、などという極端な、というかアホな例もあります。
猛禽調査等において、調査対象の行動範囲がしぼりこまれてきた段階になっても、鳥が全然飛ばない定点を固持して人をはりつけ続けるというのも似た例でしょう。ほんのちょっと定点配置を変えるだけでグンと成果が上がることがわかりきっていても、なんら改善のためのアクションをおこさずに有能な調査員をまる一日立たせておいて、「ボウズ」という結果を出させるわけです。
なにかを変えるということはそれなりのリスクを伴うし手続き的な面倒があったりもするものですが、変えてはいけないもの、変えた方がいいもの、変えようが変えまいがどうでもいいもの、などといった判断はそれ以前の問題ですし、発注者・受注者という関係において、変えられるもの/変えられないもの、という契約上の問題が壁のように立ちはだかっている気がしても、なんらかのアクションをおこして両者の共通理解が深まれば、あっけなく修正できる場合もあったりするもんです。
実際のところ、「前回と同じで」という元請けの担当者からの指示は、比較の容易な継続性のある調査を行うため、というよりは、無難に恙無く業務をこなすための保険的意味合いが強く、生物/生態について無知+半端に真面目な担当者ほど前回調査への執着があるようです。自分の頭で考える必要はなく、思うように成果が出なかったときの言い訳も簡単ですから、まあ、最強といえば最強ですね。
調査員が大学教員等である場合事情は違うでしょうが、そうでない場合について、たとえば、調査会社や調査員から元請けコンサルに向かって、あるいは元受けコンサルから発注元の役所等にむかって「担当者は『前回と同じで』」と言えるような、かつ、言いたくなるような状態になれば、少しは何かがかわるでしょうか。
いや、これはもっともっと難題ですかね。