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2008年11月27日

「モニタリングサイト1000」について 1

 環境省の生物多様性センターが実施している事業の「重要生態系監視地域モニタリング推進事業(モニタリングサイト1000)」というものが動き出しています。

モニタリングサイト1000
http://www.biodic.go.jp/moni1000/index.html

 これは、全国各地に約1000か所の定点をおいて、基礎的な環境情報を長期継続的にモニタリングしていこうというもので、「日本の自然環境の質的・量的な劣化を早期に把握」することを目的とし、動植物の生育生息状況などを100年にわたって同じ方法で調べ続けるという遠大なものです。
 実際の中身としては、生態系タイプごとに調査地が設定され、環境省生物多様性センターの「自然環境の調査や野生生物の保全に関わっている各種団体を通じて、大学、研究機関、専門家、地域のNPO、ボランティアなどの方々に呼びかけ」により構築される「モニタリングサイト1000を推進するためのネットワーク」を実動部隊とした環境調査の実行であり、アウトプット方面では「専用のサーバとデータベースシステムによるデータ収集と情報提供の推進」だそうです。
 生態系タイプは、森林、里地里山、陸水域(湖沼、湿原)、沿岸域(砂浜、干潟、藻場、サンゴ礁等)、小島嶼に分けられています。

 関連ページをいくつか探してみました。
 里地里山タイプの調査を担当する日本自然保護協会(NACS-J)のページ。
http://www.nacsj.or.jp/moni1000satochi/index.html
(ここには、具体的な手法や手続きが詳しく紹介されています)
 こちらは森林分野の調査についてのサイト。
http://fox243.hucc.hokudai.ac.jp/moni1000/
 ガンカモ類調査、シギ・チドリ類調査の事務局であるNPO法人バードリサーチにはこんなページが儲けられていました。
http://www.bird-research.jp/1_katsudo/moni1000/index.html
 また、里地里山調査サイトの中には一般サイトとして一般から調査値を募るものがありますが、それに選定されたものの例として、例えば
NPO法人天覧山・多峯主山の自然を守る会のこんなページがありました。
http://www.tenranzan.com/monita1000.htm

 大いに期待出来るところと、様々な面でのあやうさなんてものを感じたりします。
 里地里山の調査では多くの一般のひとたちがボランティアで参加することにもなるそうなので、どの程度同質のデータを確実にとり続けられるだろうかといった心配の声を聞きます。専門家と一般の人の線引きがどこにあるかはおいといても、当然危惧されることのひとつだと思います。
 同時に、同質のデータをとろうとする目的で調査方法を画一化することが、それぞれの調査地の特性の違いから、かえってデータの質をバラバラにしかねないのでは、という危険性もありそうです。
 と書き出すと、ひねくれたちゃちゃを入れようとしているように見られてしまうと思いますが、100年以上にわたってモニタリングを続けようという、文字通り世紀のプロジェクトですので、これを機にちょぼりちょぼりと書いてみたいと思います。

 このモニタリングサイト1000の一番の特徴は、生態系の基礎的な環境情報の収集・蓄積を、これまでに例がない程の多くの定点で長い期間にわたって継続しようとしていることにあります。
 この大きな目的のためには、同じ方法で実施しつづけるということに意味が出てきますので、まずはこの「方法」というものについてちょっくら。

 方法というのは、いつだって調査や研究のキモとなる部分です。
 が、これが結構やっかいな問題だったりします。同一の対象を知ろうとする行為であっても、そのための方法が違えば見えてくるものが異なるなんてことはごく普通にあることだからです。方法そのものが対象に干渉して、得られる結果を変えてしまうこともあります。
 ○○についてはこう調査すればいいはず、という調査の方法には、対象を知ろうとする際の思い込みの域に閉じ込められてしまっている可能性がいつだってつきまといます。セオリーと呼んでしまうことによる思考停止だったり、時には、○○先生により○○はこの方法で調査するとされているから、という権威主義に似たものに変質してしまっていることもあるかもしれません。
 フィールド調査を行う研究者であれば、常にその点はそれぞれのフィールド固有の事情を前提に自問自答しながら研究を進めるでしょうし、思い込みを排除しつづけようとする行為そのものこそが、研究といってもいいかと思います。調査を進めるにしたがって、この方法では肝腎なところがまるでつかめていないことがわかってきた、なんて例もきっと出てくるでしょうし、調査対象によっては定点を固定することの弊害が出てくるかもしれません(里地調査の一般サイトは5年を1サイクルとして調査地の見直しをするそうですが)。
 まあ、このあたりは言い出せば切りがないことですが、100年間同じ方法で、という話をきくと、ついついこんなところが気になってきてしまいます。

 もうひとつ、このモニタリング調査は、データベース化できるタイプのデータをとるということで、決められた地点で確認できた野生生物の種数と個体数という数字のみのシンプルなデータが主要なものになるのでしょうが、方法が一定ならば同質のデータがとれるはず、という考えは、この手のデータとりにはなかなかそぐわない面があると思います。
 調査日の天候やその年々の季節変化ようす、そして、たまたま、なんて問題がからむのは想定の範囲内で、これらはデータを読む時点で事情に応じた判断を加えることになったりするでしょう。が、調査者の力量ばかりはコントロールしようがありません。
 コンサル等による生物調査でも聞く話ですが、例えば、ある分類群に属する生物をその道の専門家が調査して数種、十数個体しかあげられなかった場所を別の調査員が調査したところ、数十種、数千個体を普通にあげてきた、なんて話も決して珍しいことではありません。生物調査における力量というものは、知識や技術、経験で培ったセンスや勘、現場における五感の感度や集中力などの総合体ですし、同時にその力量は変化するものであって、方法のみを統一することによってコントロールできる域を遥かに超えています。キノコ狩りや魚とりなんてものを想像してもらうとわかりやすいかもしれません。 
 また、調査員の知識や技術の部分に相当する話ですが、マニュアルにはとても書ききれないタイプの細かなノウハウというものも結果を大きく左右します。これはある意味、生物調査というものが避けて通れない部分だと思います。定量でなく定性調査なら大丈夫という話でもありません。

 とはいえ、方法が同一なら得られた結果は同質なはずという前提がないと、別個に得られたデータの比較が出来なくなってしまいます。直接比較はしないという分析手法もなくはないでしょうが、長期モニタリングの価値をいかすことにはなりません。調査員の力量の差によるばらつきをならしてしまえる程たくさんのデータがあるとか、個別の理由付けによりデータの重みを操作できればいいですが、そうもいかない場合は、無理矢理なんらかの理由をつけて突然環境が悪化したとか良好になったとかいう話にされてしまうこともあるわけです。というか、そんな例を実際いくつか見てきましたので。
 なんだか、モニタリング1000についての話というよりも、見つけて数えるといったタイプの生物調査全般についての不確実性というか、たよりなさの話になってしまいました。種の同定といった話になるとこれに輪をかけて面倒な事情があると共に、データベース化の困難さがつきまといますが、とりあえずこの話はここまで。

 長くなってしまいそうなので、続きは別エントリで。

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posted by biobio at 09:37 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 各種調査の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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