1998年4月27日付けですので、1999年施行の環境アセス法施行前夜といったところ。
アセスの虚構 −開発前提 機能せず−
http://www.chugoku-np.co.jp/setouti/newseto/980427/980427.html
環境アセスメントならぬ「アワス(合わす)メント」などというオヤジギャグがはやっていたこの記事の頃以降、環境アセスメントに関して法整備を初め少しずつ状況は変化してきているとは思いますが、本質的なところはあまり変わっていないような気がします。
大きな違いといったら、レッドリストを巡る保護保全のあたりくらいでしょうか。
この古い記事をとりあげるのは、ずっと気になっていた記述があるからです。
京都精華大の山田国広氏へのインタビューの部分。
「分厚い評価書面には、専門家でないと分からない数字のら列と『環境への影響は軽微』という判で押したような結論だけ」なんてのもひっかかりますが、一番はここです。
「行政など開発者からアセス業務を請け負うコンサルは、実にデリケートな立場だ。調査結果が基準値を上回るのはまずい。最悪の場合は改ざん、そうでなくてもさじ加減のようなものはある。コンサルの職場は、大学で環境を学んだ人の受け皿でもある。いくら有能な人が一生懸命やっても、データは環境を守る方向には生きてこないわけで、彼らは『もっといい仕事をしたい』と悩んでいる。」
コンサルさん、悩んでますか?
私が幾人かのコンサルさん−−−あ、ここでいうコンサルさんというのは、アセス業務等の環境調査や生物調査を請け負う建設コンサルタントや環境コンサルタント会社の社員さんのことですが−−−に、環境を守ることと実際の仕事について訪ねてみたところ、
「昔は色々思ったりもしたけれど、あれこれ考えていられないほど忙しくて」
「考えても無駄なことは無駄」
「金さえくれればどうでもいい」
といった答えがほとんど。
「うーん、そうなんですよね」
と言ったあと、なにかを思い出そうとするように遠い目をして
「そうなんですよねえ」
とただ繰り返しただけの人もいました。
どうも、悩むというよりも諦めモードか、あえて考えないようにしている、といった感じが強いようです。
なかには、
「報告書を書くたびに苦しんで苦しんで、結局胃を半分切って仕事をやめたよ」
なんていう元社員もいて話を聞くのもつらかったです。
環境を守りたい、環境にかかわる仕事がしたい、なんていう漠然とした希望は無知な学生の甘っちょろいセンチメンタリズムの範疇でしかないとしても、これが環境にかかわる仕事の代表格のような職場の現実だということになると、今のコンサルは環境や生き物世界について学んだ学生の受け皿として、あまり適当なところではないということになってしまいます。
同様に、彼らに仕事を出す仕事、つまり、誰かが決めた予算を恙無く消化することのみに腐心するしかないような役所勤めも、自分の頭でものを考えられる優秀な人材の受け皿としては、適当なところとはいえないでしょう。
「自然との共存・共生」などというキャッチコピーはともかく、具体的にいったいどんな未来図を描くのかという政治・行政のビジョンの問題であるとか、建設業界に予算をばらまき続けなければ倒れてしまうこの国のあり方そのものの問題であるとか、開発事業と環境問題に関して議論すべきことは沢山あると思います。が、生物調査、環境調査の当事者であるコンサルや調査会社、そして直接その事業を担当する役人が、こういった議論のかやの外にいるという現状はあまり健康的でないと思います。
よけいなことを言えば次の仕事がもらえなくなるなんてことは決してありません、遠慮せずにどんどん言いましょう。なんていえたらいいですが、きっとそういうことはあるんだろうなあ。