ニホンザルの大量捕獲がとうとう始まりましたね。
関連記事をふたつばかり。
「北限のニホンザル」捕獲開始、20頭は上野動物園に(読売新聞) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/life/20090210-567-OYT1T00051.html
「青森県むつ市など下北半島の4市町村に生息する『北限のニホンザル』(国の天然記念物)の捕獲作業が9日、むつ市脇野沢地区で始まり、初日は5頭が捕獲された。」
「北限のサル」捕獲を開始 増えすぎで初の大量処分(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009020901000693.html
「職員ら約10人が同市脇野沢地区の5カ所にリンゴの入った箱わなを設置し、計5匹を捕獲した。ほかに3歳以下の幼いサル3匹も捕まったが、群れの維持のため放した。」
11人で金属製の箱わなを使って捕獲したそうですが、これで合計270頭を捕獲するとなると、かなり大変そうです。単純に割り算かけ算すると、だいたい600人・日が必要となりますから、人件費込みの経費で考えると相当な額になるはずです。
で、今後、20頭は上野動物園行きとなりますが、残りの250頭は薬殺処分されることになってます。
一頭の体重が4kgとすると1トンですね。1トンもの死んだサルをどう処分するのかといったところも気になります。
さて。
「悲しいことに、人間とサルが将来どんな世界を描くのか、今まで語られていない。ビジョンを示すべき時に来ている。270匹を『犬死に』に終わらせてはならない」
これは、前回新聞記事から引用しました写真家の松岡史朗さんの言葉ですが、では、現状がどうなっているのかとえば、これだけの数の捕獲が許可されるほどなのですから、なかなか厳しいものがあります。
私が実際に目にしたのはもうずいぶん前のことになりますが、地元の人々が耕す小さな畑はサルよけの電気ショック付きの金網やネットで覆われ、まるで、人が檻の中に囲われているかのようでした。街なかではサルが電線に行列を作って移動し、ときには家の中にまで侵入して食べ物をあさったり、糞尿をまき散らすといった被害も出ているようです。
多額の費用がかけられている電気柵やネットは、猿害を防ぎサルと人との共存を目指すモデル事業の一環ですので、採算が合うのかといったあたりはとりあえず別の話としておけますし、もともと自家消費主体の小規模な畑が多いという事情があったりしますが、猿の襲撃におびえ、迷惑し、実害を被り、きゅうくつな檻の中で畑を耕すといった生活を強いられる地元の人々にサルに良い感情を抱けといっても、これはかなり難しいでしょう。
明日にでも収穫しようとしていたものこそが一番サルに狙われるといったことも、「憎たらしい」といった感情をエスカレートさせています。
そんなやつらが「天然記念物」として保護されているというのも、悪い冗談にしか聞こえないかもしれません。
中には、雪をかぶって寒そうに縮こまっているサルたちを哀れんで餌を与える農家の人もいたりするわけですが、もちろんこれは、サルを呼び寄せ被害を拡大する方向に働いてしまいます。同じ土地に暮らすものとしての優しい自然な気持ちがNGであり、邪険に追い返すことのみを良しとしなければいけないという事情の中で、地元の一般の人たちが「共存」のイメージをわかせようとするのは、困難なことだろうと思います。
まあ、「共存」というのは別に仲良くいっしょに暮らすことではないですし、「共栄」の意味を含まなければならないわけでもありません。ただ、両者それぞれに生態系の一員としての居場所があって、それぞれの居場所があるからこそ過度に干渉しあうことはなく、そして、地域全体としてある程度の安定性をもったサイクルを巡らせられている状態であればそれでいいのだと思います。
が、この意味での「共存」は、人の側の活動が「発展」というものを内包させたがっている以上限りなく不可能に近いわけで、この猿害の始まりもまた、戦後の木材供給のためにサルの住処を奪ったことや、観光開発を目論みの一つとした「餌付け」が引き金となっています。
ただ、「共存」といった話をわけにどけて、とりあえず目の前の問題を解決するだけなら、そう難しいことではないのかもしれません。
"単にサルを山に追い返す、もしくは、人里の魅力を知るサルを排除し、それ以外を山に閉じ込めて暮らさせる。個体数が多過ぎればまびいて殺し、減ってきたら餌をばらまく。" 今回の大量捕獲を含め、現実的に打たれる手もこんなところだろうと思います。
当然、サルの住む山の開発をストップすると共に林業もそこそこにして、里に降りてこようとするサルを日常的に撃退し続ける必要がありますし、野生のサルを観光の目玉にするのを断念しなければならないとか、「罪のない野生生物の命を奪うな」という第三者、とりわけ田舎の自然にロマンを求める都市部の人たちからの囂々たる非難にも耐えなければいけないとか、いろいろ面倒な問題は残るわけですが。
ということで、話をもとにもどして、松岡さんの話にある"人間とサルの将来ビジョン"についてですが、これまでこれが語られていなかった理由は、多くの人にとってどうでもよかった、というのをのぞけば、語るのが難しかった、もしくは、語れなかったと捉えていいかと思います。
農業・林業政策や開発の問題、野生生物をめぐる法整備の問題、経済の問題、都市と地方の問題、個人や各種団体の利害といったものがみなからんでくるやっかいな話ですし、感情的、感傷的な意見としての「おさるさんを殺さないで」という声も、簡単に無視していいものではないでしょう。
将来ビジョンを示せないということは、猿害をどう解決するのか、また、サルの命を救うことにどんな意味があるのか、ということに限った問題ではなく、自然保護や保全、自然との共生や共存、生き物の命といったものについての一般的な考えすら、私たちはまるで語れないでいることを意味しているといっていいだろうと思います。
たぶん、ここで考えるべき問題は、法制度や施策だけでなく、人の生き方/暮らし方やその根本となる価値観など、社会のあり方や哲学の問題抜きには語れない内容になってくるでしょう。
そして、その手の話が将来ビジョンとして示されるとき、例えばそれが「明日の自然保護より今日の食い扶持」という感覚よりも力を持つのは、往々にして至難の技です。研究者や保護論者が非現実的な机上の空論しか述べてないという場合も少なくないかもしれませんが、それよりも、今の世の中が「明日の自然保護が今日の食い扶持をささえてくれている」と思える余地を残す世の中ではない、つまり、日本の国がそう確信させてくれる回路を作ってこなかったということを意味するのかもしれません。
ということで、将来ビジョンが見えぬまま、増えたら殺す増えたら殺すというイタチごっこが始まったわけですが、解決策を簡単にひねりだせる魔法があるわけでもありませんので、とりあえず、自分たちが殺しているやつらはいったいどんなやつらなのか、ということくらいはもっとよく見てよく知りたいと思います。
ですので、次の機会ではニホンザルの暮らしぶりについて整理してみようと考えています。
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