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2008年11月27日

「モニタリングサイト1000」について 4

 続きです      【1】 【2】 【3】 【4】  【Top】 
 ところで、ちょっとすっとぼけたそもそも論になりますが、私には「自然環境の質的・量的な劣化」というのが具体的になにを意味するのかいまひとつよくわかりません。
 おそらくは、道路建設や治水・上下水道周りのインフラ整備、エネルギー供給、宅地やレジャー施設等の開発、廃棄物処理などといった、人間の生活活動や建設業関係、そして、農業、林業、水産業の影響により、今、もしくは今よりちょっと昔の状況から他の状況に遷り変わってしまうことであり、特には、その遷り変わりの中に多様性の低下と今現在希少な種(絶滅危惧種等)の個体数の減少や絶滅がみられる場合や、なんらかの目的で国外から持ち込んだ種もしくはいつのまにか国外から侵入した種の制御困難な増殖がみられた場合を指すのだと思います。
 多様性は維持されていても、その内容としてあまり好かれていない種の量比が増大してしまったら、それもきっと劣化と呼ばれるでしょう。
 つまり、「劣化」という言葉を使っているからには、このモニタリングの背景には、なんらかの形で「現状、または現状に近い望ましく好ましい自然環境像」、もくしく「本来の日本の理想的な自然環境というべきもの」が比較対象として想定されていることが伺えるわけです。
 今の生活水準を維持するツケが今の自然環境の破壊という形で出ているというシンプルな構図だけならば話はわかりやすいですが、そこに、「ちょっと昔の豊な自然のあった時代」のツケが今や将来に現れているという要素が入り込んでいるとなると、「現状」または「ちょっと昔の豊な自然のあった時代」の状況を(復元し)維持し続けていこうとすることは限りなく困難に思えます。
 また、「ちょっと昔の豊な自然のあった時代」とひとくくりにしたとき、その影に隠れて表に出て来づらかった闇の部分の見落としは、重大な問題となって蘇る可能性があります。農薬を使っていなかった時代に死に至る未知の風土病とされていたものが、そういう時代だったからこそ蔓延していた寄生虫によるものだった、などというのも、関連する例のひとつとしていいかもしれません。
 社会の現在に至る発展を環境とのからみで大雑把にまとめるならば「自然の克服の歴史」というものであって、おそらく、「劣化」に対応して位置づけられるようなちょうどよい理想的な時期などあるはずがないと思います。
 つまり何をいいたいかといえば、いったいだれがどんな理由でどうなることを望んでいるのか、そのとき自然環境の価値はどう位置づけられるのかという、かかわる人々それぞれの利益をもからめた部分がもっとオープンにならないかぎり、「自然環境の質的・量的な劣化」も「劣悪な自然環境の克服」もたいして意味をもった主張の材料にはなり得ないと思うわけです。
 こういったあいまいさを逆手にとるならば、自然環境等になにかしらの変化があったとき(ほっといても毎年毎年若干の違いは出てくるはずです)、声が大きいものが勝ちという理屈にのっとって任意に「劣化」と呼んで騒ぎ立てることも出来てしまうわけで、結果、どこかの誰かに都合の良い方向でお金を動かすなんて利益誘導も不可能ではない話に見えます。

 そもそも自然保護とインフラ整備はバッティングするに決まっていて、その解決策や妥協案はどうしたって非対称な交換条件を前提にするしかありません。何を犠牲にして何を守るかという部分を出来るだけクリアにして、あとはいかにきちんと犠牲の部分をフォローをするかという話です。自然との共生なんてのも、その具体的な内実は犠牲の明確な認識とそれに対するフォローをうまくめぐらせることなんだろうと思います。
 とはいえ、守りたい部分というのが、ごくごく個人的な損得や保護活動にかこつけた自分探しのお祭り騒ぎだったりとか、今日明日の仕事の受注、次の選挙、上司の顔色、メンツ、ファッションとしてのエコなどなどという、犠牲部分と関係なくても存在できる問題だったりすると、やっぱ、解決も妥協も難しくなってしまうわけですが。

 話がちょっと広がりすぎ、勝手な妄想モードに入りかけたのでこのへんにしておきますが、本音を言えば、「劣化」という言葉が使われるのもわからないわけではないす。
 国として将来の自然環境に関する具体的なビジョンがまともに語られることがほとんど無い中、縦割り行政の片隅からの声としての「劣化」という表現は、ある種絶妙なチョイスなのかもしれません。

 ってことで、100年後に人類がまだ地球に生き残っていたらの話ですが、このモニタリングの結果を最大限にいかしてその先1000年続くビジョンを構築してもらいたいものだと思います。で、そのときの人間と他の生き物との関係に関しては、偽善や欺瞞を排除した位置に、シンプルで直接的でわかりやすいものが再度確かな根っことして座っていて欲しいなと思います。
 つまり、「ここにいるこいつは、食えるのか? 食えないのか?」

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「モニタリングサイト1000」について 3

 続きです。      【1】 【2】 【3】 【4】  【Top】 
 また、このモニタリング1000には一般のボランティアの参加が組み込まれているわけですから、「自然に対するまなざしにささやかな啓蒙効果をあげるための長い長いお祭りイベント」といった側面がかならずあるはずです。
 多くの一般の人たちにとって、「雑草だらけの草むらや薮」が「百種、二百種もの植物が混生する生物相豊かな場所」に見えだし、ただの「小鳥たちの声」から何種類もの鳥の意味のあるさえずりを聞き分け、その一羽一羽の行動を追えるようになり、「生まれて初めてめくった葉っぱの裏にいた生まれて初めて見た虫がどこにでも普通にいるたくましいやつだった」ことを知り、「自然豊かなきれいな景色」の中に、臭くて汚くて痛くて鬱陶しくて恐ろしくて愛らしくておいしいものが潜んでいることを知る、などといった経験は、個人の気づきの物語としてとても大切なことだと思います。一次産業に従事する人たちは、また別の形の気付きの物語と共に生きてきているはずで、そして結局はこういった個人的な物語の集合体がこの国の自然に対する視線を形作っていくものと思います。
 ボランティアに参加する人限定のイベントなので、自然デバイドを生んでしまいかねませんが、かかわったひとたち同士のネットワーク形成も含め、ひょっとしたらこんなのが得られるデータ以上の価値になるかもしれないな、なんても思います。
 あ、別に生き物の種類がわかるようになることがいいと言おうとしているわけではありません。自然との距離感であったりかかわり方の話です。念のため。

 あとは、欲を言えば、これを機会に環境省の他の調査研究や国交省や農水省関連の各種調査、地方自治体発注の調査、各種環境アセスメント調査との連携といいますか、データ共有といいますか、そんなのがうまく進むといいだろうなと思います。「期待される成果」の中に、「得られた結果を自然環境アセスメントに役立てる」と明記もされていますので期待したいところです。闇に包まれたところがなにかと多い部分のようなので難しいとは思いますが。

もうちょっと続けます。
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「モニタリングサイト1000」について 2

 続きです。      【1】 【2】 【3】 【4】  【Top】 
 まあ、モニタリングサイト1000は研究でなく調査ですし、調査員の力量という問題もあるにしても、一度決めたらある程度の妥協は覚悟でそれでいくしかないということになったのでしょう。 調査項目を欲張らず、調査方法をマニュアル化して統一することは、100年間続けさせるという目的のためにはベストとはいわなくともベターな方法だと思います。
 が、1000もの定点を設置して行うとなると、捨てるには惜しい規格外のデータ、ひょっとしたらその土地の環境を評価する上で最も重要となるかもしれないデータがたくさんあがってきそうです。
 データベースの設計にもからむ話だと思いますので、このへんはちと気になりますし、実はこういったところにこそ一番の収穫があるのかもしれないぞ、とも思います。
 もうひとつ、これだけの場所で調査を行えば、これまで分布しないとされていた場所で見つかる種も多く出てくると思います。が、それをデータの形にすることは、同定能力の問題以上に、報告する勇気やその道の権威の先生との関係という問題がからまりそうです。ま、この話は脇にどけておいた方がいいですか。

 それはそうと、もし、このモニタリング1000の調査を全てそれなりの力量のある民間の調査会社に委託して行った場合、その費用はどの程度になるのでしょうね。ボランティアに対しての説明会や講習会、そしてフォローにはそれなりの費用がかかると思いますが、それら込み込みでどの程度の違いが出てくるのか知りたいと思います。安くあげることを一番の目的としているわけでもないでしょうから興味本位の話ですが。

 ともあれ、100年間現在の出発点の状況を死守すべきか、適当なところで今後の方向性を吟味すべきかなんて議論はいずれ行わなければいけなくなるでしょう。が、少なくともこのモニタリングサイト1000により、現時点で日本の環境についての長期モニタリングの体制がひとつ整ったということではあるはずです。
 環境問題に関しちゃもっと他に優先的にやるべきことがあるだろう、という意見も当然あるでしょうが、それがきちんと議論されるためにも、こういった具体的な動きは注目すべきことと思います。

 ということで、動き始めた以上、あとは、いかにそのデータを生かすかということですね。
 データベースが整うわけですから、特定の生物が増えたとか減ったとかでマスコミといっしょに一喜一憂する楽しみにはことかかなくなるわけですが、肝腎なのは、その理由を探ることであり、さてそれで、から続く部分です。
 種や分類群毎のマニアや専門家はたくさんいても、環境を読める人材なんてそう多くいるわけではありませんし、見いだされた問題に対して効果的な対策を打ち出そうという話になった場合、国際的な問題や国内省庁の壁、多方面の利権なんてものもからんだ政治の話にもなってきますから難しそうです。
 そこまでの話にならないとしても、データがあるが故に、安易な増殖策や移植放流、駆除活動の根拠に使われて、かえってとりかえしのつかないひどい結果を招くことになってもバカらしいですから、データを読み、環境を読み、因果関係を分析してより確からしい説明を常に追い求め、様々なリスクをきちんと評価するという作業は必要不可欠でしょう。複雑極まりない生態系を相手にした話ですので、意見・見解がわかれるなんてことも当然あると思いますが、少なくとも議論の透明性を確保して欲しいもんです。また、誰しもが発言には責任をもつべきと思いますが、結果に対して「責任」なんて言葉を安直に持ち出して、責任のなすりつけ合いという消耗戦に持ち込んでもいいことはないと思います。
 んで、問題が見いだされたときの対策を事業化するならば、相手が不確実性の高い自然であるという事情を前提としたフレキシブルなフォロー体制が必要でしょう。もし、「そのままほっとけ」というのが一番よさそうならば、対策事業費としてついた予算を返すことも必要かもしれません。行政担当者としてそんなのは到底考えられないことかもしれませんが、今の日本は様々な意味で考えられないような状況にあるわけですから、この手の考えられないことを少しばかりしても国民は目くじらをたてないと思います。むしろ無駄金節約ということで歓迎でしょう。

まだ続いてしまいます。

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「モニタリングサイト1000」について 1

 環境省の生物多様性センターが実施している事業の「重要生態系監視地域モニタリング推進事業(モニタリングサイト1000)」というものが動き出しています。

モニタリングサイト1000
http://www.biodic.go.jp/moni1000/index.html

 これは、全国各地に約1000か所の定点をおいて、基礎的な環境情報を長期継続的にモニタリングしていこうというもので、「日本の自然環境の質的・量的な劣化を早期に把握」することを目的とし、動植物の生育生息状況などを100年にわたって同じ方法で調べ続けるという遠大なものです。
 実際の中身としては、生態系タイプごとに調査地が設定され、環境省生物多様性センターの「自然環境の調査や野生生物の保全に関わっている各種団体を通じて、大学、研究機関、専門家、地域のNPO、ボランティアなどの方々に呼びかけ」により構築される「モニタリングサイト1000を推進するためのネットワーク」を実動部隊とした環境調査の実行であり、アウトプット方面では「専用のサーバとデータベースシステムによるデータ収集と情報提供の推進」だそうです。
 生態系タイプは、森林、里地里山、陸水域(湖沼、湿原)、沿岸域(砂浜、干潟、藻場、サンゴ礁等)、小島嶼に分けられています。

 関連ページをいくつか探してみました。
 里地里山タイプの調査を担当する日本自然保護協会(NACS-J)のページ。
http://www.nacsj.or.jp/moni1000satochi/index.html
(ここには、具体的な手法や手続きが詳しく紹介されています)
 こちらは森林分野の調査についてのサイト。
http://fox243.hucc.hokudai.ac.jp/moni1000/
 ガンカモ類調査、シギ・チドリ類調査の事務局であるNPO法人バードリサーチにはこんなページが儲けられていました。
http://www.bird-research.jp/1_katsudo/moni1000/index.html
 また、里地里山調査サイトの中には一般サイトとして一般から調査値を募るものがありますが、それに選定されたものの例として、例えば
NPO法人天覧山・多峯主山の自然を守る会のこんなページがありました。
http://www.tenranzan.com/monita1000.htm

 大いに期待出来るところと、様々な面でのあやうさなんてものを感じたりします。
 里地里山の調査では多くの一般のひとたちがボランティアで参加することにもなるそうなので、どの程度同質のデータを確実にとり続けられるだろうかといった心配の声を聞きます。専門家と一般の人の線引きがどこにあるかはおいといても、当然危惧されることのひとつだと思います。
 同時に、同質のデータをとろうとする目的で調査方法を画一化することが、それぞれの調査地の特性の違いから、かえってデータの質をバラバラにしかねないのでは、という危険性もありそうです。
 と書き出すと、ひねくれたちゃちゃを入れようとしているように見られてしまうと思いますが、100年以上にわたってモニタリングを続けようという、文字通り世紀のプロジェクトですので、これを機にちょぼりちょぼりと書いてみたいと思います。

 このモニタリングサイト1000の一番の特徴は、生態系の基礎的な環境情報の収集・蓄積を、これまでに例がない程の多くの定点で長い期間にわたって継続しようとしていることにあります。
 この大きな目的のためには、同じ方法で実施しつづけるということに意味が出てきますので、まずはこの「方法」というものについてちょっくら。

 方法というのは、いつだって調査や研究のキモとなる部分です。
 が、これが結構やっかいな問題だったりします。同一の対象を知ろうとする行為であっても、そのための方法が違えば見えてくるものが異なるなんてことはごく普通にあることだからです。方法そのものが対象に干渉して、得られる結果を変えてしまうこともあります。
 ○○についてはこう調査すればいいはず、という調査の方法には、対象を知ろうとする際の思い込みの域に閉じ込められてしまっている可能性がいつだってつきまといます。セオリーと呼んでしまうことによる思考停止だったり、時には、○○先生により○○はこの方法で調査するとされているから、という権威主義に似たものに変質してしまっていることもあるかもしれません。
 フィールド調査を行う研究者であれば、常にその点はそれぞれのフィールド固有の事情を前提に自問自答しながら研究を進めるでしょうし、思い込みを排除しつづけようとする行為そのものこそが、研究といってもいいかと思います。調査を進めるにしたがって、この方法では肝腎なところがまるでつかめていないことがわかってきた、なんて例もきっと出てくるでしょうし、調査対象によっては定点を固定することの弊害が出てくるかもしれません(里地調査の一般サイトは5年を1サイクルとして調査地の見直しをするそうですが)。
 まあ、このあたりは言い出せば切りがないことですが、100年間同じ方法で、という話をきくと、ついついこんなところが気になってきてしまいます。

 もうひとつ、このモニタリング調査は、データベース化できるタイプのデータをとるということで、決められた地点で確認できた野生生物の種数と個体数という数字のみのシンプルなデータが主要なものになるのでしょうが、方法が一定ならば同質のデータがとれるはず、という考えは、この手のデータとりにはなかなかそぐわない面があると思います。
 調査日の天候やその年々の季節変化ようす、そして、たまたま、なんて問題がからむのは想定の範囲内で、これらはデータを読む時点で事情に応じた判断を加えることになったりするでしょう。が、調査者の力量ばかりはコントロールしようがありません。
 コンサル等による生物調査でも聞く話ですが、例えば、ある分類群に属する生物をその道の専門家が調査して数種、十数個体しかあげられなかった場所を別の調査員が調査したところ、数十種、数千個体を普通にあげてきた、なんて話も決して珍しいことではありません。生物調査における力量というものは、知識や技術、経験で培ったセンスや勘、現場における五感の感度や集中力などの総合体ですし、同時にその力量は変化するものであって、方法のみを統一することによってコントロールできる域を遥かに超えています。キノコ狩りや魚とりなんてものを想像してもらうとわかりやすいかもしれません。 
 また、調査員の知識や技術の部分に相当する話ですが、マニュアルにはとても書ききれないタイプの細かなノウハウというものも結果を大きく左右します。これはある意味、生物調査というものが避けて通れない部分だと思います。定量でなく定性調査なら大丈夫という話でもありません。

 とはいえ、方法が同一なら得られた結果は同質なはずという前提がないと、別個に得られたデータの比較が出来なくなってしまいます。直接比較はしないという分析手法もなくはないでしょうが、長期モニタリングの価値をいかすことにはなりません。調査員の力量の差によるばらつきをならしてしまえる程たくさんのデータがあるとか、個別の理由付けによりデータの重みを操作できればいいですが、そうもいかない場合は、無理矢理なんらかの理由をつけて突然環境が悪化したとか良好になったとかいう話にされてしまうこともあるわけです。というか、そんな例を実際いくつか見てきましたので。
 なんだか、モニタリング1000についての話というよりも、見つけて数えるといったタイプの生物調査全般についての不確実性というか、たよりなさの話になってしまいました。種の同定といった話になるとこれに輪をかけて面倒な事情があると共に、データベース化の困難さがつきまといますが、とりあえずこの話はここまで。

 長くなってしまいそうなので、続きは別エントリで。

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posted by biobio at 09:37 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 各種調査の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月26日

関連記事:「長良川河口堰の水、徳山ダム導水路に」(2008.11.26朝日新聞)

 なかなかわけのわからんことになっております。

「長良川河口堰の水、徳山ダム同水路に
  渇水対策への転用計画」 (2008年11月26日、朝日新聞1面の記事)

「本格利用のめどが立たない長良川河口堰(三重県)の活用のため、国土交通省と愛知県や名古屋市などが検討している長良川と木曽川をつなぐ導水路計画の事業費が約60億円と資産されていることがわかった。東海3県の渇水に備え、徳山ダム(岐阜県揖斐川町)の計画段階の導水路の一つと兼用施設にする計画だ。河口堰は洪水対策以外に工業用水など新規の水需要に対応することを主目的に建設されたが、事実上、渇水対策に転用する内容だ。」

「河口堰、徳山導水と兼用案
 転用つじつま合わせ」 (2008年11月26日、同関連記事)

「長良川河口堰でためた水を徳山ダムの導水路で
名古屋市などの水源になっている木曽川に渇水対策用に長そうという国土交通省の案には不自然さがつきまとう。」

 既に出来てしまったものは、壊すという選択ができないならば、可能な限り有効利用した方がいいとは思うのですが、これはどうなんでしょうね。少なくとも、長良川河口堰の存在に関して、今のままではいけないと考える人がいるということくらいはわかるのですが。

ちなみに長良川河口堰のホームページはここ。
http://www.gix.or.jp/~naga02/nagara/japanese/indexj.htm
徳山ダムのホームページはここ。
http://www.water.go.jp/chubu/tokuyama/

 最近は、堰やダムまでホームページをもつようになったんですね。
 近所の砂防堤やため池が、情報発信するようになる日も近いかもしれません。

 徳山ダムは10月13日に竣工式を迎えましたので、今後その名称や活動内容が気になる「徳山ダム建設中止を求める会」のホームページはここ。
http://tokuyamadam-chushi.net/

 ところで、この徳山ダムに関して、環境調査に関する法整備の前の計画であることが理由だと思いますが、環境影響評価法(環境アセスメント法)の指定を受けていないため、今言う形の環境アセスメントは行われていません。環境調査、動植物調査が全くやられていないわけではないのですが、その結果にはいくつか不可思議な点が見られるようです。例えば、工事予定の場所をきれいにさけてワシ・タカが暮らしていたとか。彼ら、将来ダムに沈んでしまうことを予知していたんでしょうかね:p
 この情報ソースも新聞なんですが、いつのものだったか失念してしまい、webでも見つかりませんでした。そこには猛禽調査の飛跡図等にねつ造が疑われるとありましたが、誰がデータをとり、誰の手を経て実際には誰がどんな形で報告書にしたのか気になります。
 猛禽調査においては調査対象種が飛んだのが見えればそれはそのまま地図に記録するわけですから(似たような飛跡が多過ぎるとか、渡りで通過しただけなのが明らか、とかの理由ではぶくことはあるでしょうが)、わざわざ重要な場所が見えないように調査定点を配置したか、どこかのタイミングでどこかの誰かが故意に都合の悪い飛跡を消したかということになりそうです。営巣に関する情報も闇に葬られたかもしれません。
 工事箇所にワシ・タカが暮らしている証拠がなければ大丈夫とかそういう話じゃないですね。
 そもそも、人がダムを作りたがるような場所と、クマタカなどが暮らしたがるような場所は、多くの場合でいっしょなんですから。

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2008年11月20日

gooニュース「幻のメガネザル捕獲 インドネシア、87年ぶり」

「幻のメガネザル捕獲 インドネシア、87年ぶり」
gooニュースより。

ちっさいですね。
「スラウェシ島の標高約2100メートルの森林で、体重約60グラムのピグミーメガネザル3匹を網で捕獲した」
とのことです。

網ってどんな網だんたんでしょうか。

タモだったりして。
有能な調査員は、タモでなんでもとっちゃいますからね。
タグ:タモ
posted by biobio at 10:51 | 東京 ☀ | Comment(3) | TrackBack(0) | 動物調査の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月18日

アレチウリとの地味な戦い

 まあ、なんといいますか、ともかく難儀なやつです。
 特に秋。
 不用意にアレチウリの繁みに突入してしまったら、その日はもうずっと不快感に苛まれるでしょう。

「ウリ科の大型のツル植物で1年生草本。北米原産で日本では本州以南で帰化植物として知られ、特定外来生物に指定されている。」
 以上、Wikipediaより。http://ja.wikipedia.org/wiki/アレチウリ

 特定外来生物ということで駆除もされているわけですが、すさまじい繁殖力ではびこっています。河原なんかに多い、パッと見、クズに似たアレです。

 アレチウリの果実のまわりには、びっしりと細長いトゲというか針というかがついているのですが、これがごく簡単にはずれて服や体にささりまくります。
 素手でさわれば、指は即座にサボテン状態。
 シャツもズボンもなんなく貫いて布の内側に先を出し、チクチク、チクチクといつまでも体を刺し続けます。
 アメリカセンダングサとかアレチヌスビトハギとかササクサとか、実や種子が衣服や髪にくっついやっかいな植物はたくさんありますが、これら「ひっつき虫」たちと違い、種ごとくっつくのでなくトゲだけくっつけやがるというところが、アレチウリのアレチウリたるところ。実もいっしょにくっついてきてくれれば、どこか遠くに連れていってあげることもできるのですが、どうやら彼女はそういうのを望んでいないようです。種子散布において、僕らは全くお呼びでないってことですね。寂しいもんです。よくよく見れば、繊細できれいな構造をした実なんですが。

 何の用事があるかはともかく、薮に分け入る人は軍手をすることが多いかと思いますが、アレチウリを前にしてはこれがまた最悪。
 軍手の編み目に垂直に定位したトゲが、それはそれは見事に指を目指して刺さってきます。手を守ってくれるはずの軍手が、あっというまに手を痛めつける兵器と化すわけで、こうなった軍手は全く使い物になりません。
 このトゲ、簡単に抜けはするんですが、何十、何百、何千本と服に突き立ってしまったら、もうどうしようもない。服を脱ぎ捨ててしまうか、丹念に取り除くか。
 「我慢する」というチョイスも当然あるわけですが、普通人の皮膚感覚ではなかなか厳しいものがあります。

 ということで、最大の攻撃は防御なり。完全武装で守るしかありません。
 とりあえずゴムガッパと厚手のゴム手袋は効果があります。とはいえ、ごついゴム手袋をしていても、ごくあっさり、すっと突き抜けてくるトゲもあったりします。
 また、目の前のアレチウリをどけようとしてひっぱると、思わぬ方向に繋がったツルの続きがこちらを直撃してくるなんてこともあるので、刃物があると便利ですね。カマやナイフもいいですが、茎の狙った場所をハサミでちまちま切る方が失敗がなくていいのかもしれません。

 目の前の植生にダメージを与えてはいけないタイプの調査の場合は、もう、様々なことをあきらめる覚悟が必要でしょう。
 様々なことというのは、アレチウリのトゲにやられるということだけでなく、主には感情のやり場のことです。
 調査依頼者にアレチウリが多くてたいへんだったと言ったところで、このチクチクをわかってもらえるわけでなし、わかる人だったとしても笑って「あれはやっかいだねえ」と言われるだけです。また、トゲ攻撃にめげず植物をなぎ倒したり踏み荒らしたりしてしまわないよう丁寧に調査したところで、その直後にあたり一帯の草刈りが入って「あの苦労はなんだったの?」なんてこともないわけじゃありませんから。

 まあ、そんなこんなで秋はアレチウリには近づかないというのが一番なんですが、そうもいっていられない事情があるからこその難儀さ爆発、十分な対策に勝るものはないでしょう。
 で、この場合、自分だけ完全武装してもいいことはありません。トゲまみれになってしまった同行者が「丹念に取り除く」というチョイスをしてしまった場合、ただただ長い時間待たされることになりますので。

 ところで、これだけ高度な攻撃兵器でもって厳重に守っている種子なのですから、さぞかし魅力的な味をしているのだろうと思って食べてみました。

 まずいっす。

posted by biobio at 23:00 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 植物調査の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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